2006年11月22日

BSD復活


職場の原稿書きPCをWindowsXP機からNetBSD機に換えました。
Windows機のファン音があまりにうるさかったので、同僚に前世紀末のPCを格安(2000円)で仕入れてもらったのを機にBSD系へ戻ることにしたわけです。

原稿=テキスト執筆が主な作業なので、そもそも「文書処理」を開発名目としていたunixがやはり、作業台としてはふさわしいのです。
ほとんどの作業がコマンドラインで済むのがうれしいです(^_^)

2000円とはいうもののCPUはPentiumIII 666MHz、これに手持ちのメモリ512MB、80GBハードディスクを載っけているので、以前、FreeBSDを使っていたころからみると夢のような高性能PCです。最近デスクトップ環境が充実してきたと聞いていたので、当初は、PC-BSDやSuSE Linuxもインストールしてみましたが、どうもデスクトップ環境は各構成部分の依存関係が複雑で、管理するのが面倒な印象がぬぐえず、ちょっと硬派にNetBSDを採用することにしました。

NetBSDでもデスクトップ環境は使えるんですが、それは採用しないことにしました。
見た目は上の画像のとおりです(ディスプレイは1024x768ピクセルです)

2006年11月5日

世界史未履修でも一応、問題なし

先の記事「家庭科未履修」は私の認識不足でボロボロです。
http://lamium.blogspot.com/2006/11/blog-post.html

今日付で追記したとおり、私の高校時代はまだ世界史が必修ではなかったのです。

2006年11月1日

家庭科未履修

私は兵庫県の三田学園(私学/中高一貫/男子校)を「卒業」しています。

けさ11月1日付『神戸新聞』に、兵庫県教育委員会が遅ればせながら発表した「必修科目未履修が判明した高校」のリストにわが三田学園も、灘、兵庫など名だたる進学校といっしょに並んでいました。

三田学園での未履修は「家庭基礎 271人」。この人数は全生徒ですね。
社会面には、高校部の現校長が「土曜日を月1回休みにするなど授業数が少なくなる中」と、その経緯を説明したコメントが載ってました。

私は第1回「共通一次試験」の受験者で、家庭科男女共修になる前ですから「家庭科未履修」ではないとは思うのですが、世界史は生徒の側からの要求で1学期途中から政治経済に切り替えました(世界史の先生が、古墳の話ばかりして、世界史自体の授業にちっとも入らなかったので、先生を更迭するか、科目を変えるかと学校に迫ったのです)(この段落、最初は、家庭科が当時も必修だと誤解して書いてましたので修正しました)

★11月5日追記:世界史が必修になったのは1979年の学習指導要領告示からでした。ですから、私が高校生だったころは、家庭科だけでなく世界史を履修しなくても、学習指導要領上はまったく問題がなかったわけです。


なお、私がいま住んでいる学区にある県立芦屋高校は、昨年度から単位制になったのですが、単位制への移行にむけての事前説明会(主に中学生の保護者を対象におこなわれたもの)で、校長(教頭だったか?)は、生徒の興味・関心に応えるためという一方で、進路(つまりは受験)にみあった科目選択ができると「利点」を強調していました。芦屋高校では単位制の3年生はまだいませんから、今回の未履修問題では名前があがっていませんが...

未履修については、学習指導要領に従っていないことで問題とされていますが、そもそも教育基本法の規定からも逸脱しているのではないでしょうか?

教育基本法では、第1条で教育の目的を「人格の完成をめざし」と定めています。家庭科なんて男子校では「人格の完成」とは関係ないのでしょうか?

長年疎かにしてきた教育基本法の規定を本気で実行することこそが、いま必要なのではないかと私は思うのです。

2006年10月6日

カット屋さんM.M.月へ行く

うちの娘(カット屋さんM.M.)が算数の宿題をやっていました。
月までの距離は38万4千km。時速25kmの自転車で行くと何日かかるでしょう?

M.M.曰く「月まで自転車で行けるんや!」「…!」

どうも、空に見えている月まで「自転車で行ける」ことに感動してしまって、計算を忘れています。

「ほらほら、時速25kmいうのは1時間で25km進めるいうことやろ...」「何時間で1日や?」と助け舟を出してやると…

「640日?」「2年ほどで行けるんや!」とまた感動しています。

そばで寝転がってテレビを見ていた長男が「あほか。1日中、自転車漕いでられるわけないやろ」と、高校生らしい“的確な批判”をよこすので、「じゃあ、1日8時間漕ぐとしてみたらどうかな?…」とアドバイスする不適格な父(つまり私)。

M.M.は月へたどりつけるのでしょうか?

2006年10月4日

「美しい国」∈「美国」?

今日、ちらりと、参議院本会議の中継を見ました。

1日の所信表明演説については「カタカナ語が109回」という報道もありましたね。
「エレベータ」など日常的に使われているものや、「バイオマス」なんて専門用語はともかくとして、「日本がアジアと世界の架け橋となる「アジア・ゲートウェイ構想」」とか「グランドデザイン」とか、わざわざ米語(和製?)でいう必要もないでしょう。
「カントリー・アイデンティティー」が問われませんか?

今日の答弁でも教育の目的を「美しい国、日本」実現のためと繰り返し強調してました。
教育の目的を国民の人格の完成自体ではなく、それを国家づくりのためにとするのは、旧憲法・教育勅語の教育観を彷彿とさせませんか?。

ところで、お隣の国ではアメリカ合衆国のことを表音的に「美国」(미국)と書きます。
「美しい国、日本」の「カントリー・アイデンティティー」は本物なのでしょうか?

2006年9月24日

2973<2974<<6599*n

2973人: 「9.11 米同時多発テロ」での死者
2974人: 22日までのアフガニスタン戦争とイラク戦争での米兵の死者
6599人: ことし7,8月のイラク民間人の死者

「朝日」9月23日付がAP通信の独自集計を紹介しています。
イラク民間人死者数は国連の発表にもとづくものとのこと。

いいですか? イラク民間人の死者数はこの2箇月分ですよ。たったの2箇月で阪神・淡路大震災による死者6434人を越える命が奪われています。ちょっと信じがたいです。

戦闘だけでなく、治安悪化、テロによる死者も多数なんでしょうけれど、テロリストをのさばらせる結果を生んだのは、米国によるイラク社会の破壊でしょう。

ブッシュ大統領が「十字軍」を気取って始めたこの2つの戦争に巻き込まれて亡くなったアフガニスタン、イラク両国の民間人はいったい総計何人なんでしょう? これは「報復」どころではありませんが(イラクと9.11テロとは無関係なので、二重の意味で「報復ではない」です)、そもそも「報復のための十字軍」がありえるのでしょうか?

私自身の勉強のために『Nova Vulgata』*から引いておきます。(Luc.6)
27 Sed vobis dico, qui auditis: Diligite inimicos vestros, bene facite his, qui vos oderunt;
28 benedicite male dicentibus vobis, orate pro calumniantibus vos.
29 Ei, qui te percutit in maxillam, praebe et alteram; et ab eo, qui aufert tibi vestimentum, etiam tunicam noli prohibere.
その続きにはさらにこんなことも書かれています。
37 Et nolite iudicare et non iudicabimini; et nolite condemnare et non condemnabimini...


目の中に丸太があるのに気づいていないのは私の方なんでしょうか?

*http://www.vatican.va/archive/bible/nova_vulgata/documents/nova-vulgata_novum-testamentum_lt.html
なお、私はまだこれを読めませんが、プロテスタントとはいえ、Yale Univ.出の大統領ならなんなく読めるでしょう。

2006年9月22日

おかしな専門家: 最高法規や基本法に基づく判断なんですが、何か?

東京都教育委員会が教職員にたいし、入学式や卒業式で「日の丸」への起立、「君が代」斉唱を強要する通達を出したり、各校の校長が職務命令をおこなったりしたことは
  • 「不当な支配」を廃するとした教育基本法10条に違反
  • 日本国憲法19条の思想・良心の自由に対し、許容された制約の範囲を超えている
とする判決を東京地方裁判所が下しましたね。都教委などが強要の根拠とした学習指導要領についても
  • 学習指導要領が教職員に対し、一方的な理論や概念を生徒に教え込むよう強制する場合には「不当な支配」に該当する
としています。

私はこの判決は当然すぎると思います。

ところが、それを報じた「神戸新聞」9月22日付に、こんなコメントがつけられていました。
…行政当局が法に基づいて行った行為が不当な支配に該当するというのはおかしい。
このコメントの主は菱村幸彦氏。紙面では肩書きが「国立教育政策研究所名誉所員」となっています。この研究所の性格を知らない人には、この人がいかにも高い見識をもつ専門家のように読めます。

この人は「元文部省初等中等教育局長」。インターネット書店で編著者検索してみると、『管理職演習学校の法律問題』『学校経営と法律の接点』『教育行政』などたくさんでてきます。中立的な学者どころか、当事者に等しい立場の人でしょう。

菱村氏は、教育法規に詳しいようですが、日本国憲法は「最高法規」なのだし、教育基本法は教育分野の文字通り「基本法」なのですから、「法に基づいて行った行為」だといっても、その法や法解釈(学習指導要領は法ですらありませんが)が、より上位の法:憲法や教基法からみて正しいかどうか、裁判所が判断するのは当然ではないんでしょうか?

日本国憲法や教育基本法なんぞ、自分たち行政を縛るものであってたまるか、なんて思っているんでしょうか。こういう人たちは。(縛られていやだから、これらを「改正」しようとしているんですよね)

Nuntii Latini: ラテン語によるニュース

ラテン語によるニュースサイトを見つけました。
Nuntii Latini: http://www.yleradio1.fi/nuntii/

  1. Saddamo nihil cum al-Qaida
  2. Principissa Kiko filiolum peperit
  3. Conventus Asem 6
なんて記事が出てます。
  1. の「nihil」は日本でいう「ニヒル」の語源ですね。「サダムはアル・カイダと“無”関係」。
  2. は「Kiko」「filiolus = 幼い息子」でわかるでしょ?

ちゃんとRSSも提供されてます。ラテン語は死語じゃないんですよ。

2006年9月16日

InDesign: フレームグリッドの最後の行が埋まらない

私が編集しているのは「新聞」なので、長さの単位が、ポイントでも級・歯でもなく、
U = (11/1000) inch = 0.2749 mm
なのです。そのためInDesignで組版する際、下のように半端な値で指定しなくてはなりません。
  • 文字サイズ:12 U = 13.411 Q
  • 行間:6 U = 6.706 H    (行送り:18 U = 20.117 H)

[←図1]
ところがこのとおりに*フレームグリッドを設定しても、最後の行に文字が入らないまま、次の段に流れてしまうのです。

* 実は、後述のようにこのとおりではなかったのです。



フレームグリッドは25行分あるのに、24行目までしか入りません。
(画像をクリックしてみてください。大きく表示されます)

フレームグリッドは縁をマウスでつかんでドラッグすると1行ずつ増減しますが、このフレームもそうやってつくったものです。

コントロールパレットを見ると、フレームグリッドの横幅(W) は 124.054 mm になっています……問題点に気がつきましたか?


この記事を書き出した当初は、次のように単純に考えていたのですが、フレームグリッドの設定での別の問題に気付きました。

文字サイズと行送りから25行分の横幅を計算すると:
横幅 =( 20.117 × 24 + 13.411 ) H
   = 496.219 H = 124.0548 mm
0.0008 mm 横幅が不足しているので、25行目に文字が入らないのです。

[←図2]
そこで、コントロールパネルで横幅を修正してやると...







[←図3]
25行目に文字が入ります。コントロールパネルでは、横幅(W)が 124.055 mm になっています。








さて、記事を書いているうちに気付いた、その真相は……

実は、UからQ(H)への換算は小数第4位まで使って指定していたのです。

つまり、[図1] のフレームグリッドの設定の際、実際の入力は、
  • 文字サイズ:12 U = 13.4112 Q
  • 行間:13.4112 H / 2
でした。行間については「二分」(1文字の1/2)として、InDesign自身に計算させていました。

しかし、InDesignは小数第3位までしか表示しませんので、[図1] では、あたかも小数第3位までの精度で入力・指定されているように見えているのです。


この精度で25行分のフレーム幅を計算すると:
フレーム幅W = ( 13.4112 ÷ 2 + 13.4112 ) × 24 + 13.4112 H
   = 496.2144 H = 124. 0536 mm
となります。このWの値を丸めたものがコントロールパレットでの表示([図1] を拡大して見てください)「124.054 mm」と一致していますから、InDesignはこの精度で計算してるんだろうと思われます。


では、なぜ25行目が入らなかったか...

ここに適用した段落スタイルでの数値の精度が小数第3位までだったのです。この精度で、(フレームではなく)段落の横幅を計算すると上に書いたように:
段落幅 = ( 6.706 + 13.411 ) × 24 + 13.411 H
   = 496.219 H = 124.0548 mm
となり、フレーム幅Wよりも大きくなるので、25行目が入らないのです。

なお、段落スタイルで、文字サイズを小数第4位まで入力し、行送りも計算式で入力すると、段落横幅がフレーム幅Wと一致するので、25行目まで入ります。


つまり、InDesignで長さを指定する時は、その精度をそろえておかないと、齟齬が生じるということなんですね。


新聞以外では U単位なんて使わないから、他の分野の組版では、ほとんど問題にならないんでしょう。(うちの編集部にしても、もはや新聞専用のシステムは使っていないのですから、U単位を使い続ける意味はないということでしょうね。やれやれ!)

2006年9月10日

In Bushum Minorem

フセイン政権とアルカイダとは協力関係になかった――米上院情報特別委員会の報告書が結論づけたそうです。むしろ、イラク国内でアルカイダを抑え込もうとしていたのはフセイン政権だったとも。

生物・化学など大量破壊兵器がなかったことも、すでに明らかになってますし、イラク戦争をはじめた根拠がことごとく否定されてきました。

では、フセイン元イラク大統領はいったい何の罪で裁かれようとしているのでしょうか?
法廷に引き出されるべきなのは小ブッシュ現米大統領の方ではないのでしょうか?
わたしの国の小泉首相も当然、その共犯者として裁かれることになるでしょう。



☆この記事のタイトルは、ASCII文字で書かれているからといって、けっして米語ではありません。念のため :-]

2006年9月1日

appe-toppe

妻が机のそばに落としていた文庫本を拾い上げてみると『論理的な話し方が面白いほどできる本』なるものでした。
今日、私がふと買ってみた新書本の副題は「非・論理コミュニケーション」...

さてもさても、あっぺとっぺな夫婦です。

2006年8月23日

ゲド戦記/The Books of Earthsea

宮崎吾朗氏の「ゲド戦記」はやはり観にいかないことにします。

娘(カット屋さんM.M.)にせがまれて映画「ゲド戦記」の解説本(小学館)を買ったのですが、原作とちょっと違いすぎません? 映画は独立した作品ですから、違っていて当然なんですが...

原作のアレンは、それなりに貴族としての立ち居振る舞いを身につけ、そして、ゲドに見込まれるだけの素質はもっていますが、それを除けば、ごく普通の青年ではないでしょうか。だからこそ、思春期の葛藤の中にある若い読者が共感できるのでは?
映画のように父殺しをするほどに心を病んだキャラクターにする必要があるんでしょうか?

テナーが村人たちから蔑まれるのは、「女まじない師(原作はそうでないけど)だから」ではなく、「女性だから」として描かないと、"Tehanu"の主題はなんだったのか?となりますよね。

テルーも美人すぎ。やけどのあとが目立たないです。これではテルーが受けた心の傷もわからなくなるのでは?


娘も解説本を見て、「お話がよく分からない。でも、絵がテレビアニメみたい(ーεー)」と厳しい評価を下してました 。
これも気になるところなんです。宮崎駿氏の「となりのトトロ」を見たとき、なににびっくりしたかっていうと、背景の草や木が「草」や「木」じゃなくて、ひとつひとつの個体がそれぞれの種を特定できそうなほどに緻密に描かれていたことなのです。
この解説本に載っているシーンだけなのかもしれませんが、映画「ゲド戦記」のは、娘のいうテレビアニメのように、草が単なる「草」に退化してる——。アースシーの魔法の基本は、まずは人や物事の真の名前を知ることですよね。ところがこの映画では、背景の草木が真の名前を知られることなく、打ち捨てられているのです。

宮崎吾朗氏はこの解説本で、背景ではなくキャラクターについてなんですが、「絵が緻密だと、どうしてもそちらに見入って台詞を聞かなかったりするでしょう。でもゲド戦記は、原作が言葉によってなりたっているような作品です。だから、言葉がきちんと伝わるようにしたかった」と書いています。
これはちょっと変ですよね。だったらわざわざ映像化する必要はないでしょう? 原作が言葉で語っているものを、目に見えるかたちにする——直訳的・即物的な描きかただけでなくて、象徴的な方法もあるでしょうに、それが映画が小説とは別のジャンルとしてある意味じゃないのかなぁ...


原作者Ursula K. Le Guinさんの"Gedo Senki, a First Response"を読んだら、UKLさんも映画のできぐあいを歓迎していないようです。
(これはUKLさんのサイト http://www.ursulakleguin.com/ に載っています)


それにしても、「ゲド戦記」というシリーズ名がよくなかったですね。岩波書店が付けたんでしょうか。
小学生のころ「ナルニア国」ものがたりに夢中だった私も、『影との戦い—ゲド戦記I』が出た時には、すでに反戦思想を固めていたので「戦記」ということばにじゃまをされて、このシリーズに接する機会をいままで失っていました。
原作者が呼んでいる"The Books of Earthsea"というシリーズ名にしてくれていればよかったのに。

2006年6月29日

とふや、こうや、たたみや

私の故郷は、昔からのいい方でいうと、摂津国有馬郡上大沢村です。「大沢」は「おおぞう」と読みます。
うちの近所では、家(うち)の呼び方に3種類ありました。
  1. 戸籍上の姓で呼ばれているうち:榎本、辻井 etc.

  2. 地名にちなんで呼ばれているうち:とっとうえ、どのうえ etc.

  3. 職業名で呼ばれているうち:とふや、こうや、たたみや etc
「榎本」家、「辻井」家は安政時代から名字帯刀、藩主(三田藩:九鬼家)の目通りを許されていた名士です。

「とっとうえ」は「一番上」という意味で、ここのうちは、村で一番標高の高いところにありました。峠のこじんまりとした、わらぶきのうち。ここの「とっとうえのおばさん」も、いつも丸顔いっぱいに笑みをうかべている小柄なおばあさんでした。

「どのうえ」は「堂の上」。集落の上にお堂があったようですが、その上にうちがあったんでしょう。私が子どものころには、集落の中にうちを移していましたが、それでも、むかしどおり「どのうえ」さんと呼ばれていました。


不思議なのは三番目のグループなんです。「たたみや」はもちろん「畳屋」、「とふや」は「豆腐屋」、「こうや」は「紺屋」ですが、「たたみや」以外は、私が子どものころには、豆腐づくりや染め物をしていた様子はもうまったくありませんでした。
上大沢村は60戸ほどですから、こんなところで、豆腐屋や紺屋をやって商売になっていたんだろうかと、不思議に思っていたのです。


そして、私の実家は「森」姓です。周りからも「森」さんと呼ばれていました。ですから上の区分でいうと一番目のグループにあたるのかもしれません。でも、私のうちの伝説によると、ご先祖さんが、江戸時代に一度、夜逃げ(逃散)し、菟原郡(うはらぐん)森村へ身を寄せていたから、その後、大沢村へ戻り、明治になって「森」姓を名のることになったのだといいます。ですから二番目のグループに入りそうです。


ところが、先日、網野善彦さんの『続・日本の歴史をよみなおす』*を読んでいて、はたと思い当たりました。
網野さんは、この本で「百姓」=「農民」との従来の思い込みの誤りを指摘し、近世以前の日本社会が、農民以外にも多様な職業をもつ人々によってつくられた社会であったと主張しています。

筑摩学芸文庫版のpp.250-252で、江戸時代末期の『防長風土注進案』に記録されている、現在の山口県上関にあたる地域の職業別戸数が紹介されていますが、そこには、豆腐屋、紺屋、畳職も出てくるのです。

『大沢町誌』**には、江戸時代はじめの方の延宝年間に作成された「村明細帳」が収録(pp.90-97)されていますが、それをみると、上大沢村は、全67軒の内、高持百姓が53軒、無高百姓が14軒となっています。「無高」***というから土地を持たない小作人で貧しいうちかと思っていたのですが、「とふや」「こうや」「たたみや」はこの14軒の内に入っていて、田んぼを持たなくてもそれぞれの職業で暮らしていけたうちなのかもしれません。

同じ資料では、となりの中大沢村は、全64軒の内、無高地が26軒、4割をしめています。中大沢村は、明治時代1889年の町村制施行で、神付、上大沢、中大沢、日西原、簾、市原の6箇村が合併して「大沢村」になった時、村役場や小学校などが置かれましたから、それ以前からも周辺の村々の中心であり、「無高」のうちの多さは、豆腐屋や紺屋をはじめ、商業やさまざまな職人の存在を示してるのではないでしょうか?

また、私のご先祖さんたちが六甲山を越え森村へ出てきたのは、夜逃げではなく、ひょっとして、海運や商業をするためでは? 夜逃げしたことを記念して姓をつけるということは、ちょっと変でしょう。明治はじめのわが家の当主(私のひいひいおじいさん)がよほどのユーモアの持ち主でないかぎりは。



* ちくま学芸文庫『日本の歴史をよみなおす(全)』に収録
** 1991年、大沢町まちづくり協議会発行
*** 『大沢町誌』では別の箇所(p.71)で、「無高地=かくし田のこと」と解説していますが、「村明細帳」は藩主への報告書ですから、「無高=石高・田畠をもたないうち」ではないでしょうか?

2006年6月20日

1972年

小川洋子さんの『ミーナの行進』 *を読みました。
1972年(学校のひとくぎり)にはずいぶんいろんなこと**が起こったんですね。
私はミーナと同学年。語り手の「私」は1学年上ですね。『ミュンヘンへの道』も見てましたし、ジャコビニ流星群の夜も曇り空をながめてました。ただ、芦屋じゃなくて、六甲山の裏側をむこうの方にながめる小さな谷にいたのですが。
それにしてもこの小説には本への愛情があふれてますよね。主題はこっちの方じゃないかと思うぐらいです。

なんといっても私の好きなのは、「印刷間違い」をひたすら探す「伯母さん」。
「見つけるとどうなるの?」
「……別に、どうにもならない」
「分厚い本一冊を何日もかけて調べて、結局一つも誤植が見つからないこともある?」
「もちろん。滅多には出会えないのよ。宝石を掘り出すみたいなものね」
そして、ミュンヘンオリンピック・バレーボール準決勝戦……

こんなにも美しい「印刷間違い探し」さんを描いてくれた小川さん、ありがとう!


*2006年4月, 中央公論社刊(2005年2月12日 - 12月24日の毎週土曜日の「読売新聞」に連載
**この小説には触れられていない出来事も多数です。思い出せますか?
***写真は本の挿画にも使われている寺田順三さん作のマッチ。いっしょに写りこんでいる銀色のものは……

2006年6月18日

10年の空白: 1937.12 - 1948.4

岩波文庫『ガリレオ・ガリレイ 新科学対話』がことし2月にリクエスト復刊されていたのを、先日になって気づきました。いつ復刊なるかと待っていたのに、最近、大書店から足が遠のいていたせいで見逃していました。

手にとってみると、上下2分冊なのですが、(上)と(下)で本文の組方が変っているのです。正確な寸法はわからない*のですが、(上)は本文活字六号、1頁=43字詰×17行、(下)は本文活字9ポイント、1頁=38字詰×15行となっています。書体も違っています。柱も(上)では右から左への横書き、(下)では左から右への横書きです。




そこで、奥付を見てみると、(上)の第1刷は1937年12月15日発行なのに、(下)の第1刷は1948年4月10日発行。10年と4カ月も間が空いています。


この空白期間にあったのは、もちろん、第2次世界大戦。1937年は、日本が7月7日の盧溝橋事件を機に中国への全面侵略を開始した年。(上)第1刷発行日の2日前、12月13日には当時の中国の首都・南京を占領しています。

しかし、この岩波文庫の(上)に訳者がつけた「年少の読者に寄す」には、そんな戦争の影は一見、見えません。
私達が翻訳してここに皆さんの御目に掛ける書物は、(...)今から丁度三百年前の一六三八年に(...)
と冒頭にありますから、この一文は確かに1937年に書かれたものと思われます。もはや、戦争の影を書くことは許されない状況にあったのでしょうか。

訳者は今野武雄氏と日田節次氏。日本科学史学会**の「学会年表1941-1990」を見ると、戦中・1942年2月の第8回例会・第2回研究談話会の報告者の中に今野氏の名前があります。
戦後へ下ってみると、戦後・1946年の項に、今野氏は民主主義科学者協会(民科)事務局長として紹介されています。

そして、同年表によれば、(下)第1刷発行から1カ月後の1948年5月例会で、今野氏が「ガリレオの新科学対話について」と題する報告をおこなっています。

今野氏は、1990年12月15日発行の新日本新書『自然科学の名著100選』(上、中、下)の3人の編者の1人となっていますから、戦後も長く日本の科学史研究に貢献されている方のようです。日田氏については、googleでは『新科学対話』の訳者としてしかヒットしないようです。どんな方だったのでしょう。もしや戦争の犠牲になられたのでしょうか?


『新科学対話』は、天動説にたいする宗教裁判で弾劾、幽閉され、娘も視力も失ったガリレイが、近代科学を切り開こうとした自らの努力を、
今後、如何なる著作も公にせず、唯その全く地下に埋れ果てませぬよう、私の論題を学問的に研究さるる識者のみが利用し得る場所を求めて、手稿の写しを遺すやうに致したい ***
と、弟子に口述筆記させたものが、オランダで出版されたものといいます。(岩波文庫には、1674年にフィレンツェで発行された「第5日」(「ユークリッドの幾何学原本について」)は収録されていません)

第2次世界大戦:日本の侵略主義は、ガリレイがせっかく後世に遺そうと願った『新科学対話』の発行をも遅延させてしまったのですね。

* 復刻の際、少し縮小されているような気がします
** http://wwwsoc.nii.ac.jp/jshs/index-j.html
*** ノアイユ伯への献辞(上 p.11)

2006年6月15日

国民保護協議会observatio II(6/16加筆)

5月31日に傍聴した芦屋市国民保護協議会(第1回)の資料と議事録が公開されました。

芦屋市役所のホームページ*「くらしのハンドブック」「まもる」章の最後に「国民保護」の項があります。ここから新設された「国民保護」のページ
http://www.city.ashiya.hyogo.jp/kokuminhogo/index.html
へリンクされています。
資料と議事録はこのページからさらに階層を下って、「☆ 芦屋市国民保護協議会、同幹事会の開催」のページ
http://www.city.ashiya.hyogo.jp/kokuminhogo/kokuminhogo_kyougikai.html
にあります。
6月5日にひらかれた「第1回幹事会」のものもあります。
協議会当日に委員に配布された全ての資料と、(簡潔とはいえ)議事録も公開されています。

さて、まずは、兵庫県弁護士会の意見書などを参考にしながら、よく読んでみましょう。
そして、できれば仲間を募って勉強会もして、協議会委員への働きかけもしなくはと思ってます。


ところで、今回配布された資料には、芦屋市計画骨子と、県計画―モデル計画―芦屋市計画の目次対比表はあるんですが、県計画も消防庁発表の市町村のモデル計画も入っていませんでした。
県計画とモデル計画も芦屋市の「国民保護のページ」の末尾にある「兵庫県国民保護のページ」と「総務省消防庁」のリンク先にあります。



* 「狭義の」です。アドレスは、http://www.city.ashiya.hyogo.jp/

2006年6月9日

カット屋さんM.M.のお品書き

「9条ネコさん」を書いてくれた娘ですが、「お品書き」も作ってました。


資本主義社会で暮らしているんですから、作品への対価要求は正当ですね。これなら食いはぐれることもないでしょう。しっかりがんばっておくれ。

でも、もうちょっと国語のお勉強もしなくてはね*



* 「ご気望」じゃなくて「ご希望」1)、「時間体」じゃなくて「時間帯」2)だよ。

1) 」という字は「ねがう」という意味があるから、「望」で「ねがって、のぞむ」という意味。
日本国憲法第9条の1項に、
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に求し
と書いてあるけど、ここの「希求」は「ねがって、もとめる」という意味だよ。
でも、ただ、「ねがって」いるだけではダメなんだ。同じように「平和をねがう」憲法なら、たいていの国にある。日本国憲法9条がすごい!といわれているのは、その「ねがい」を実現するための具体的な手立てを決めていることなんだ。「戦力」(軍隊など)と「交戦権」(戦争をする権利)を放棄する(捨て去る)と決めている。それが第2項。
(2)前項の目的を達するために、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
このことは、よくおぼえておいておくれ。

2) 「帯」という字は、幅のあるものを指しているから、時間の幅をいうなら「時間帯」。「体」って数学では、足し算・引き算、かけ算・割り算がぜんぶできるものの集まりのこと。時間の足し算・引き算、かけ算・割り算ってなんだろう。ちょっとロマンティックだね。

字を覚えるには、まず、本をたくさん読むこと。それから、お父さんの長~い話をガマンして最後まで聞くことも、役にたつかな(^_^)

2006年6月8日

9条ネコさん

うちの娘がこんなのを書いていました*

* ちょっと親バカかな(^_^;;

2006年6月1日

国民保護協議会を傍聴(6/4加筆)

芦屋市の「国民保護協議会」を傍聴してきました。
この協議会は「国民保護法」にもとづいて、各自治体がそれぞれの「国民保護計画」を作成するためにひらかれるものです。

「武力攻撃事態等」が起こったときに「国民を保護する」ための法律とはいうものの、人権を保障する具体的な手立てが不十分だと、日本弁護士連合会などからも懸念が表明されているもの。

芦屋市の協議会では、
「武力攻撃事態等は国の外交の失敗によって起こるもので、事態発生に市の責任はない」
けれど、市民の安全について市は責任を負わなければならないと事務局側が説明していました。


ところで、芦屋市は「芦屋国際文化住宅都市建設法」*1
「国際文化住宅都市として外国人の居住にも適合するように建設し、外客の誘致、ことにその定住を図」る
ことになってます。

また、1985年には市議会が「非核平和都市宣言」*2を決議しています。
「戦後いくたびか、
平和を願う人類の理性と決意は、
核兵器の使用と核戦争を防いできました。
わたしたちは、この理性と決意を信頼し、
かけがえのない生命の星、青く輝く地球を
笑顔にあふれる子供たちに残すため、
いまふたたび、心をひとつにして
核兵器を廃絶するよう、全世界によびかけます。
そして、国是である非核三原則の厳守を
強く希望するとともに、
わたしたちの街・芦屋をいかなる形であろうとも
核兵器に関連して使わせないことを自ら決意し、
ここに非核平和都市であることを宣言します。」

自然災害ではないんですから、芦屋市としても「国が外交上の失敗を起こさない」よう、積極的に行動することが求められるし、せっかく定住・来訪してもらった外国の人々も含め、市民の人権が侵害されることのないような計画をつくらなくてはならない*3のではないでしょうか。

それにしても... 計画作成までの協議会開催はたったの3回(あと2回)です。9月の第2回協議会には「素案」が提案され、10月に市民への説明・意見募集をしたあと、来年1月の第3回協議会でもう計画を確定してしまうというスケジュールです。これで十分な議論ができるのか心配*4です。

5月31日の第1回協議会は、事務局(市)側からの説明ばかりで、委員のみなさんからの質問・意見は2件(「協議会の内容をそれぞれの団体で議論してもいいか」「資料の扱いは」)だけでした(それぞれへの市長の答弁は「各団体で議論してください。必要であれば説明にうかがいます」「資料はすべて公開です」でした)。この日、傍聴者には資料が配布されませんでしたが、このような答弁がありましたので、会議終了後、この日委員に配られたすべての資料の提供を事務局に申し込みました。

いずれの市町村でも、国民保護協議会は一般の審議会と同様に「原則公開」「傍聴可」になっていると思います。気になる方はぜひ、お住まいになっている市町村に問い合わせて、傍聴してみてはいかがでしょうか?

*1 憲法95条に基づく「特別法」なので、1951年制定のときは住民投票を経ているはず。最終改正は1999年。いまも生きている法律です。
*2 全文は:http://www.city.ashiya.hyogo.jp/peace/index.html
*3 自治体の計画作成は法で義務付けられているので、「いらん」とはいえなくて...
*4 一昨年、「次世代育成支援対策行動計画」を作成したときは、事前にアンケート調査もし、5回の地域協議会と5回の原案策定委員会をひらいてます(さらに行政側だけの会議も数度ひらかれています)。それでも表面だけをさらっとさわったような議論しかできず、とても残念でした(私は地域協議会に参加してました)。それと比べても、「国民保護協議会」の開催回数はちょっと少なすぎ?



市町村が独自に基本的人権を尊重した計画を作成することは可能だし、法的には計画作成の期限は定められていない

兵庫県弁護士会は、兵庫県の国民保護計画作成にたいして、昨年3月と7月に「意見書」*5を県に提出しています。その中に、見出しのようなことが指摘されていました。

そうなんだ! 計画作成は義務づけられていても、もっとじっくり・たっぷり・おおぜいで議論を重ねて、憲法で保障された基本的人権を尊重した計画をつくることは、自治体で、もちろん芦屋市でも可能なんですね。

*5 昨年3月の意見書:http://www.hyogoben.or.jp/img/kokuminhogo.pdf
 昨年7月の意見書:http://www.hyogoben.or.jp/img/kokuminhogo050722.pdf
 今年1月の会長声明:http://www.hyogoben.or.jp/ketsugi/20060123.htm

2006年5月18日

InDesignCS2 字送り?行送り?

このあいだからInDesignCS2を使っているんですが、少し縦横がこんがらがっています。
私ではなく、InDesignのほうがこんがらがっているんだと思います。

タブロイド判(というよりA3判かな?)の週刊新聞を作っています。
新聞組版の寸法単位は、1u=(11/1000)inchというものなのですが、InDesignで使える単位は、H(Q)、pointとm。
u単位を使うには、いちいちHなどに換算しないといけないし、ごくわずかですが誤差も出ます。
そこで、H単位を採用して版面設計をやり直していたところでした。

レイアウトグリッドは次のように設定しました。
組み方向:縦
フォント:毎日新聞明朝L*
サイズ:15Q
文字垂直比率:80%
文字水平比率:100%
字間:0H  (字送り:12H)
行間:6H  (行送り:21H)
文字数:11
段数:10
段間:18H
行数:47
以下略
さて、次は、フレームグリッドのドキュメントデフォルトをレイアウトグリッドと一致させよう.... そう思って設定ダイアログボックスをひらいてみると、
* この図は自宅のMacでのものですので、「フォント」欄が「小塚明朝」になってます。

わかります? このフレームグリッドは縦書きなんですよ(^_^;;

なお、この設定のまま、実際にフレームグリッドをつくってみると、ちゃんと
「字送り:12H」「行送り:21H」
のものができます。

Adobe社のサポートデスクにはお知らせ済みですので、そのうち対処されるでしょうね。

2006年5月4日

阪神電鉄 versus 村上ファンド

この問題で、私がとても気がかりなのは、阪神電車が安心して乗れる電車であり続けられるのかどうかなのです。タイガースの行方ではないのです*

村上ファンド(M&Aコンサルティング)は「弊社の視点」を、
株式会社M&Aコンサルティングは、必要に応じて経営改善に関する具体的な提案を行う等、株主価値向上のための積極的かつ直接的な働きかけを行っています。
としています。「株主価値向上」が主目的のようですが、「株主価値」とはいったい何なのでしょうか?

「稼ぐ」を方針の第一に掲げていたJR西日本でどんなことが起こりましたか?――もう、忘れたという人は、まさか、いないでしょう。

* 小川洋子さんはじめタイガースファンのみなさんには申し訳ないですが... そもそも私は野球に興味がなくて...
それにしても、4月2日のANN「報道STATION」では、タイガースの方に重点が置かれていて、鉄道事業そのものについてはまったく触れてませんでした。メインキャスターがプロレス実況で名を成した人とはいえ、どうなんでしょ? 面白がって観戦していればいいという問題じゃぁ、ぜんぜんないですよ。あなたは東京にいて阪神電車に乗ることなんてないのかもしれませんがね!

2006年4月25日

Re: 悩ましい字体:難儀な事態

『犬のしっぽを撫でながら』での文字組みの事故について、集英社の担当編集者のHさんからお電話をいただきました。原因がわかったそうです――
本文の基本フォントは、NEW CIDフォントを使っているのですが、旧字体がない文字についてはOCFフォントを組み込んで組版しました。
ところが、NEW CIDとOCFではベースラインが異なっているので、OCFフォントの文字の字面が下がってしまいました。
問題の文字について「上下均等空き」という処理をすれば、字面のずれが防げるようなので、今後、OCFフォントを組み込む場合は、この処理もセットでおこなうよう、印刷所に指示することにしました。
校正の際は、文字が正しいかどうかに注目していて、字面のずれには気づきませんでした。
――とのことでした。

私がいる編集部でも、こんどから組版を自分たちですることになり、こうした事故の事例と解決方法をできるだけたくさん集めておきたかったので、集英社に問い合わせました。まったくの部外者にもていねいな説明をしてくださったHさんに感謝です。

2006年4月20日

悩ましい字体:難儀な事態

小川洋子さんのエッセイ集『犬のしっぽを撫でながら』*がでました。

*2006年4月10日第1刷, 集英社


内容については別の機会に書きますね。



それより、変なことが気になりました。右の写真は66ページの1行目と2行目の一部分です。「篇」の字面が下がり過ぎてませんか?

たぶん、本文のフォントには「篇」の“戸”の1画目が左下がりになっている異体字がなかったんでしょうね。それで、別のフォントから切り貼り(?)したんでしょうか。

57ページでは、同じ異体字を使っているのに、字面は下がっていません。
そんなところもありますが、おおむね、JISにない旧字体が使われているところで、字面の位置がおかしくなっています。


下の4つはこのエッセイ集からではなくて、私が小塚明朝で印字したサンプルです。
OpenTypeフォントには小塚明朝のように、s/
同じ区点位置**に複数の異体字を収録したもの
/異体字の置き換え情報をもったもの/があります。どの字体を使うか、悩ましいところです。コンピュータで出版物を作るようになって、字形についていままで以上に知識が必要になって、もう、たいへんです。

**「篇」と「編」は別の区点位置にあります。念のため:-)
☆ フォントの中で異体字はそれぞれ別の区点を与えられています。(4月27日訂正)

しかし、このエッセイ集では、「短編」が普通の字種・字体(上の図の左から2番目)で印刷されているところもあります(83ページ)。ですから、小川さんご自身がとても字体にこだわって、異体字を使うように指示しているようには思えないんです。収録されているエッセイはさまざまな時期、さまざまな雑誌・新聞に発表されたものですから、それぞれの編集方針にもよるのでしょう。

ひょっとすると、小川さんが古いワープロで執筆されている***ことの影響かも知れません。

***「されていた」? いまはもうコンピュータに移行されているかな?

2006年4月10日

いっきに春が来た


雨が続いて、なかなか暖かくならないと思っていたら、レンギョウもハクモクレンもサクラもいっきに咲きました。
わたしも調子よく咲いてます。
でも、もうそろそろ私の季節は終わりです。来週には色もあせて、しなしなっと倒れているでしょう。しっかり種はつくってますから、もういいんです。

2006年2月26日

雨が降ると

今日は西日本のかなり広い範囲で雨が降っているようです。
芦屋ではすっかり本降りです。

雨が降ると「もう春だなぁ」と思ってしまうのです。
関西では冬だって雨は降るんですが、いまだにそう思うのは、少し長めの学生時代を仙台で過ごしたからでしょうか。
雪ではなく雨が、細い雨が降ってくると春なのです。

それにしても、今日、芦屋は土砂降りです。

2006年1月17日

受診抑制と重篤化

のどが痛くてどうしようもないので、職場近くの耳鼻咽喉科に駆け込んだら、みごとにインフルエンザA型にかかっていることが判明しました。

どうりで体全体もだるいわけです。

実は、症状が出たのは先週木曜の夜。翌日は頭がずきずきするので一日寝ていました。土曜日にはちょっと体が浮くような感じがしたものの、仕事が気になって出勤。月曜日は例のごとく徹夜で編集作業をして、きょう(火曜日)はその徹夜のまま1時間歩いて、阪神・淡路大震災早朝追悼集会の取材に出かけたのでした。会場の諏訪山公園(神戸市中央区)まで登る最後の坂では、息も絶え絶え。歳のせいかと思ったのですが、この時すでに37℃を越える熱があったようです。

医院では特効薬タミフルを処方してもらったのですが、もう手遅れですよね。やれやれ、跋扈する新自由主義のもと、受診抑制・重篤化を自ら実践してしまいました。

2006年1月1日

道可道非常道

ことしは46歳になります。カーソルが尺*1 の右側にきて久しいですし、右端もそろそろ見えてきましたか…。目盛り間隔はずいぶん狭くなってきました。10代後半のころの1年間がいまの3年間から4年間のように感じます。


道可道、非常道、名可名、非常名*2
「『道』が語りうるものであれば、それは不変の『道』ではない。『名』が名づけうるものであれば、それは不変の『名』ではない」*3

30年前に出会ってからいままで、このことばに支えられて生きてきました。
熱狂せず、盲信せず。おかげで変な道に進まずにすみました。しかし、確信せず。この立場を保ち続けるのは、すこしつらいこともありました。
それでもやはり、私はこのことばに従っていこうと思います。

*1  これは計算尺です:-) 下から4番めがD尺、ここの46にカーソルを合わせています。そこから1つおいて上のCI尺に17を置いてみました。目盛り間隔が時間感覚と微妙に暗合してるでしょ?
*2 『老子』
*3  小川環樹訳