2006年6月18日

10年の空白: 1937.12 - 1948.4

岩波文庫『ガリレオ・ガリレイ 新科学対話』がことし2月にリクエスト復刊されていたのを、先日になって気づきました。いつ復刊なるかと待っていたのに、最近、大書店から足が遠のいていたせいで見逃していました。

手にとってみると、上下2分冊なのですが、(上)と(下)で本文の組方が変っているのです。正確な寸法はわからない*のですが、(上)は本文活字六号、1頁=43字詰×17行、(下)は本文活字9ポイント、1頁=38字詰×15行となっています。書体も違っています。柱も(上)では右から左への横書き、(下)では左から右への横書きです。




そこで、奥付を見てみると、(上)の第1刷は1937年12月15日発行なのに、(下)の第1刷は1948年4月10日発行。10年と4カ月も間が空いています。


この空白期間にあったのは、もちろん、第2次世界大戦。1937年は、日本が7月7日の盧溝橋事件を機に中国への全面侵略を開始した年。(上)第1刷発行日の2日前、12月13日には当時の中国の首都・南京を占領しています。

しかし、この岩波文庫の(上)に訳者がつけた「年少の読者に寄す」には、そんな戦争の影は一見、見えません。
私達が翻訳してここに皆さんの御目に掛ける書物は、(...)今から丁度三百年前の一六三八年に(...)
と冒頭にありますから、この一文は確かに1937年に書かれたものと思われます。もはや、戦争の影を書くことは許されない状況にあったのでしょうか。

訳者は今野武雄氏と日田節次氏。日本科学史学会**の「学会年表1941-1990」を見ると、戦中・1942年2月の第8回例会・第2回研究談話会の報告者の中に今野氏の名前があります。
戦後へ下ってみると、戦後・1946年の項に、今野氏は民主主義科学者協会(民科)事務局長として紹介されています。

そして、同年表によれば、(下)第1刷発行から1カ月後の1948年5月例会で、今野氏が「ガリレオの新科学対話について」と題する報告をおこなっています。

今野氏は、1990年12月15日発行の新日本新書『自然科学の名著100選』(上、中、下)の3人の編者の1人となっていますから、戦後も長く日本の科学史研究に貢献されている方のようです。日田氏については、googleでは『新科学対話』の訳者としてしかヒットしないようです。どんな方だったのでしょう。もしや戦争の犠牲になられたのでしょうか?


『新科学対話』は、天動説にたいする宗教裁判で弾劾、幽閉され、娘も視力も失ったガリレイが、近代科学を切り開こうとした自らの努力を、
今後、如何なる著作も公にせず、唯その全く地下に埋れ果てませぬよう、私の論題を学問的に研究さるる識者のみが利用し得る場所を求めて、手稿の写しを遺すやうに致したい ***
と、弟子に口述筆記させたものが、オランダで出版されたものといいます。(岩波文庫には、1674年にフィレンツェで発行された「第5日」(「ユークリッドの幾何学原本について」)は収録されていません)

第2次世界大戦:日本の侵略主義は、ガリレイがせっかく後世に遺そうと願った『新科学対話』の発行をも遅延させてしまったのですね。

* 復刻の際、少し縮小されているような気がします
** http://wwwsoc.nii.ac.jp/jshs/index-j.html
*** ノアイユ伯への献辞(上 p.11)

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