2005年12月20日

元日本軍「慰安婦」イ・オクソンさんの講演

ハルモニ講演会

神戸女学院大学石川ゼミのみなさんが韓国・ナヌムの家나눔의 집)をことしも訪問してきましたが、こんどは、ナヌムの家から元日本軍「慰安婦」のイ・オクソンさん(이옥선 할머니)を招いて講演会がおこなわれます。
  • 日時:12月20日(火)午後2時-5時
  • 会場:神戸女学院大学ジュリア・ダッドレー記念館1階会議室
日本国内で、元「慰安婦」のハルモニの思いを直接聴けるまたとない機会ですね。

参加希望者は、神戸女学院大学女性学インスティチュートまで
電話: 0798-51-8545

この記事はもともと10月の末に書いたものです。
ここのブログはあとから記事の日付を変更できるのを利用して、再掲(というより掲載位置を変更)してみました。ですので、以下の「ベアテの贈りもの」上映会の記載は古くなってますが、ご容赦ください。

「ベアテの贈りもの」上映会

なお、神戸女学院では学院創立130記念行事として映画「ベアテの贈りもの」の上映会もおこなわれます。労働省婦人少年局局長時代、男女雇用機会均等法を成立させた、元文部大臣・赤松良子さんの講演も。
  • 日時: 11月10日(木)午後5時30分から(開場は5時10分)
  • 会場: 神戸女学院講堂
ベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon) さんは、22歳の時、GHQ民政局のスタッフとして日本国憲法の人権条項作成に携わった人。第14条「法の下の平等」、第24条 「両性の平等の原則」などに、ベアテさんの草案が生かされています。赤松さんはこの映画の製作委員会代表でもあります(神戸女学院の出身だと思うのです が?)。

この映画は、藤原智子監督によると
ベアテさんが書いた男女平等の条文を起点にして、戦後、日本の女性たちが今日までどのような、地道な歩みと活発な運動を展開してきたかを検証する、いわば映像による戦後女性史のひとつです。(←映画『ベアテの贈りもの』製作委員会サイトから)
一般の参加申し込みは10月31日まで。急がなくっちゃ!
詳しくは、この案内チラシを。

2005年12月11日

サンタクロースへの手紙

娘がせっせと縫い物をしていると思ったら、こんなのをつくってました。黄色いのは自分の、青いのは弟のです。

「ちょっと小さいね」
「プレゼントを入れてもらうんとちゃうねん。お手紙を入れとくねん」



数日後――
「サンタさん、手紙とりに来てないなぁ…」

はい、はい。ちゃんとサンタさんに渡しときましたよ。

咲いてみたものの

花びらをひらいてみました。しかし、急に寒くなりましたね。これではヒラタアブくんも来てくれそうにありません。
ちょっと待ちくたびれてしまいました。

この写真はこれまでとは別の個体です。前のは道路工事のとばっちりで行方知れずになってしまったのです。都会暮らしはきびしいです。

2005年12月10日

VENI, VIDI, VENUS!

きのう、金星が最大光度、-4.7 等となるというので、南中時(14時45分ごろ)、仰角30°に目を凝らしてみたのですが、巻雲(cirrus)ばかりが美しく、見つけれられませんでした。

きょう、仕事で神戸市北区の鈴蘭台へやって来ました(veni)
観ました(vidi)
おぉい、金星(Venus*。昼間**の君もすてきだよ!

*Venusは第II変化名詞じゃなくて、genusと同じく第III変化名詞ですよね?
** 16時前ですが、この季節ではもう夕方かな?

2005年11月24日

ボランティアを支援するボランティア

知人のOさんが退職後、兵庫県でボランティアグループをつくりました。
ちょっと変わっているのは、「メタ・ボランティア」とでもいうのをめざしているところ。
「案内」によるとこのボランティアグループ、「キャス」Campaign Assist Square)*は、
平和やくらしをよくするために活動する団体や個人を応援する
ボランティアグループなのです。みずから直接、なにかの活動をするのではなく、ボランティアを応援するボランティアなんですね。
  • それぞれの団体の政策づくり、事務局活動の支援
  • 勉強会への講師派遣
  • ニュースやチラシ、機関紙など出版物の編集支援
  • 翻訳、海外調査のお手伝い
などが「キャス」の活動です。

これまでの市民運動が培ってきたノウハウはけっこうあるんですよね。
地域などで、さあ、市民運動を起こさなくては、でも、だれもそんな経験はない...といった場合、頼りになりそう。

「キャス」自体のスタッフ(ボランティア)も募集してますよ。企画、編集など腕に覚えのある人はぜひ!


* まだ、ウェブサイトはできてなくて、ブログで代用しているようです。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/53313

2005年11月14日

もう花をつけてみました

ちょっとピンボケですが、写真の中ほどにほんのり桃色のつぼみが見えますか?
たぶんこのまま花弁はひろげないで実を結ぶことになると思います。
なにぶん都会で経済的には大変なんですが、しっかりがんばってますよ。


ブログへの登場は久しぶりのL. amplexicauleでした。

2005年11月13日

あたし

えらけいこ『あたしち』Vol.11(2005.11.9, メディアファクトリー)がでました。

わがやではこの本がとても人気です。娘にいわせると、タチバナ家の「父」と「母」の性格が私と妻によく似てるんだそうです。
「父は外では腰が軽く、家では腰が重い」(No.1)とか、「母は合理性の鬼」(No.7)とか、う〜ん、そうだねと思えるようなところもあります。
もっとも、私は、あたしちの「父」ほど甲斐性はなく(私の年収は1/3ぐらいしかないと思いますよ)、妻はあたしちの「母」ほど「グラマラス」(No.9)ではありませんが...

No.32の「頭もくつ下も使ってると...すりきれてきちゃうんだねー」というのは、ほんとうです。私の経験からいっても(^_^)

2005年11月10日

侵略国家の遺物

きょう(11月10日)付「神戸新聞」の阪神版に、戦前から長年にわたり、芦屋警察署の会議室にかけられていた書が、南次郎氏(1874--1955)の筆と判明したという記事が載っていました。
武人とはこういう字を書くのかと思わされる力強い筆遣いで「剛健」と大書されています。警察官のみなさんの士気をおおいに高めたことでしょう。

しかし、南氏は、朝鮮軍司令官、陸軍大臣、関東軍司令官、朝鮮総督などを歴任し、中国、朝鮮への侵略戦争・支配の先頭に立ってきた人物です。

陸軍大臣だったのは、満州事変(1931年)の時。最終的には戦争拡大路線に立ち、A級戦犯として裁かれた東京裁判で、終身禁固刑の判決を受けています。
また朝鮮総督だったのは1936年から6年間。日本語使用の強要、「創氏改名」など「皇民化政策」を推進した総督なのです。

いまの日本国憲法のもと、このような人物の書をありがたがるというのは、どうなんでしょうか?

直ちに降ろして、しかるべく処分(せいぜい遺族に返すぐらいでしょうか?)するのが「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」た者、「他国と対等関係に立たうとする」者の責任ではないかと私は思うのですが...

2005年11月8日

「世界」

きのう*1 うちへ帰ってテレビをつけたら、NHK教育で「アラビア語会話」*2 をやってるじゃありませんか。講師は『アラビア語のかたち』*3 の師岡 カリーマ・エルサムニーさん。『千一夜物語』の朗読*4 がすてきです。

NHKの「世界」にようやくアラビア語圏も入ったんだなぁ——と感じるのは私だけ?
というのは、私がよくラジオを聴いていた、いまから30年ほど前、NHK FMで「世界の音楽」という番組があったのです。
この番組、3部構成でしたが、「ヨーロッパの音楽」「アメリカの音楽」「ラテンアメリカの音楽」でおしまい......
アジアはどうした。
アフリカはどこにあるのだ。*5
アジアやアフリカの音楽は「民族音楽の時間」という別番組でしたね。
そんな時代と比べて「ようやく」と感じたわけです。

しかし、30年前のNHKの「世界」よりももっと狭い「世界」や「国際」にとらわれている人たち*7 が、いまでもこの国にはいるようです。


  1. テレビをつけた時点ではもう日付が変って「きょう」でした。
  2. http://www.nhk.or.jp/gogaku/arabic/
  3. 11月7日付「アラビア文字」
  4. 「アラジンと魔法のランプ」だけじゃなくて、他の話も聴きたいって?......めっ!
  5. 金子光晴「風景」*6 より借用:-)
  6. 10月14日付「この「風景」を現出させては...」
  7. 憲法9条2項をなくそうとしている人たちがそうですよね。

2005年11月7日

アラビア文字

師岡 カリーマ・エルサムニー『アラビア語のかたち』(2002年, 白水社)は、昼休み、目がちょっとさびしくて買った本だったのです。

それまでは、こんがらがったひものように見えたアラビア文字も、いったん知ってしまえば、1文字1文字が語りかけてくれるような気がします。

MacでもWindowsでも、簡単にアラビア文字はじめいろんな言語の文字が入力ができるようになってますよね。
とくに、アラビア文字の場合、単語の中の位置によって文字の形が変わっていくのが、目に見えて楽しいです。「ل」と「ا」を続けて入力すると合字の「لا」にぱっと換わるのなんかも面白い:-)
ハングルの場合も「」「」「」と入力すると、コトコトっと(そんな音はしませんが)「」という形に組みあがるのが、なんともいえず気持ちいいです。

2005年10月18日

イスカンダル

「アレクサンドリア」ってアラビア語で書くと、
الاسكندرية
となって読み方は、
アル・イスカンダレイヤ
...え!? 「イスカンダル」?? じゃ、その隣は……
الغملون   アル・ガミロン
……なんてわけないですよね。

(このページはutf-8なのでマルチリンガルな書き方を試してみました。一部をアラビア語表記にしています。他のPCやMac、unixなんかではどうみえるんでしょう? うまく見えない方もあるでしょうが、試みなので許してください。)

2005年10月14日

この「風景」を現出させては...

いきのこつた一匹のしやうじやう蠅が自分の影に追はれて
まひまひしてゐる。

年月がゆき、ペトンで固めた角ばつた地球は、
最後の栓をとぢた。
……もう誰もゐない。
これは金子光晴の『鬼の子の唄』から「風景」、その冒頭です。高校で使った教科書に載っていました。この詩についての授業はなかったのですが、それから30年、記憶に残り続けています。

先日、岩波文庫の『金子光晴詩集』(清岡卓行編)が復刊されているのを見つけて買いました。さっそく「風景」を読んで驚きました。
「昭和一七・九月」という日付がつけられているのです。

私はこの「風景」が核戦争のあとのことだとばかり、思っていました。まだ多くの国民が「神風」を信じていたころに、金子さんは、いったいどのようにして、こんな「風景」を描くことができたのでしょうか。
さんらんたる石女よ。
第2 次世界大戦は、この「風景」にまで突き進みはしませんでしたが、地上の大半をまきこんで終わりました。自分たちを戦争に駆り立てた国家を自ら打ち倒してつ くったものではなく、連合国から与えられたものであるにせよ、日本国憲法が歓迎されたのは、もう戦争はこりごりだという当時の国民多数の実感によるもので しょう。
いま、戦争を知らない人たちが、憲法9条2項を変え、平和主義を骨抜きにしようとしています。憲法の精神を実現することをかかげた教育基本法を変え、国民を国家の道具とした戦前の教育に引き戻そうとしています。侵略戦争の加害責任すら否認しようとしています。
私も第2次世界大戦は知りません。しかし、歴史は学ぶことができます。また、今この瞬間にもイラクはじめ世界で武力による抑圧や戦闘は現に起こっています。
不用になつた空のきよさ。あかるさ。やさしさ。
核の時代、次の世界大戦では金子さんが予言した「風景」が現実のものとなるでしょう。私たちは「石蚕」ではありません。「叡智あるヒト」として、歴史を逆行させようとするものとたたかいたいと思います。

(きょうはちょっと気負い過ぎましたね。でも、たまにはこんなのも書かせてください)

2005年10月13日

おはようございます、L. amplexicauleです

みなさん、おはようございます。
やっと目をさました私たちです。秋も半ばに、なにを寝ぼけて...と思わないでください。寝坊したわけじゃありませんよ。
これから冬にかけて、周りに背の高い草がなくて、お日様がたっぷり当たるんです。寒い日もありますけど、まあ、多少はがまんできます。
春や夏ほどお日様は強くないけど、ちょっとした節約もできるので、大丈夫です。きれいな花をひらかなくても、つぼみのままでしっかり種を作れますからね。もちろん、春になればお花の贅沢はしますよ。

私たちの双葉は直径3mmほどです。写真まん中あたりの私はもう、本葉を一組広げています。その左下には、大きめで、すこし紫がかった双葉があるでしょう? これは弟のL. purpureumです。田舎の方では、白く清楚な花をつけるL. album姉さんも、いまごろ目をさましているでしょうか。私もほんとうは畑のやわらかいところで目ざめたかったんですが、都会ではそうもいってられませんね。

2005年10月12日

「Edward Steichen: portrait」展

芦屋市立美術博物館で11月6日(日)までひらかれている「エドワード・スタイケン:ポートレート」展を観てきました。
ルクセンブルグ国立歴史美術博物館収蔵のEdward Steichen作品の中から、52点ポートレートが展示されています。1901年から1910年の作品が22点、1922年から1936年が28点、制作年不詳が2点です。作品は制作年順に並べられています。

1910年までの作品は「ピクトリアリズム pictrialism」なのでしょうか。このころの写真はネガから直接印画紙へ引き伸すのではなくて、さまざまな技法で画像に手を加えていたそうです。今回、展示されている作品も(どういった技法が使われているのかはわかりませんが)背景など筆やパレットナイフでこすったような感じがしますので、かなりの加工がほどこしてあるようです。
こうしてオリジナルプリントを観るとよくわかりますよ。
この時期のものの最後に、ピクトリアリズムからストレートフォトへ脱却して近代写真へ踏み出したアルフレッド・スティーグリッツを被写体とした作品が置かれているのは興味深いことです(そして、この作品はあまり絵画的ではないのです)。

壁を変え、その次に展示されているのは1922年の作品です。この間にスタイケンは第一次世界大戦に従軍しています。この戦後、1922年の作品からは、にじませるようなピクトリアリズムの技法は消えて、シャープにピントが合い、階調も幅広い作品が並んでいます。スタジオではなく戸外で撮ったものもあります。現代の私たちが「ポートレート写真」として見慣れた雰囲気の写真です。
第一次世界大戦は、欧米の人々の価値観に大きな変化を与えたといいます。スタイケンの作品の変化にもこの大戦が影響しているのでしょうか。

現代の私にとっては、なんだか、1910年までの作品の方が新鮮に感じられました。

2005年10月10日

ナヌムの家訪問報告会

神戸女学院大学石川ゼミのみなさんが、韓国「ナヌムの家」を訪問したことは、9月18日付記事で紹介しましたが、その報告会がひらかれます。
  • 日時:10月24日(月)午後3時から5時くらいまで
  • 会場:神戸女学院大学ジュリア・ダッドレー記念館1階会議室
  • 参加条件:学外もふくめ自由参加(無料)
  • 詳しくは:石川先生のサイト

会場までの道順は神戸女学院のサイトの「学内案内図」と「交通アクセス」をごらんください。

2005年10月9日

龍野からさらに43分

10月1日に佐用郡4町が合併して、新しい「佐用町」になりました。
そのうち一番東、姫路よりにあるのが旧三日月町。姫新線三日月駅から志文川を1kmほど遡った徳平集落のあたりから春哉集落を望んだのがこの写真です。左の方の高い山が旧南光町との境にある御殿山(標高351m)でしょう。
この辺は標高110mほどのところを川が流れ、まわりに標高200から300mの山が並んでいます。
10月6日朝8時半ごろです。雲は集落のすぐ上にあります。空はほんの近くなのです。

2005年10月5日

ともだちの「せと恵子」さんが神戸市長選挙に

ともだちの「せと恵子」さんが神戸市長選挙に立候補することになりました。

せと(瀬戸)さんは長田で阪神・大震災に遭遇。夜が明けて外へ出てみると、アパートの周りの家はつぶれ、大家さんも亡くなっていたといいます。せとさんは幼い娘2人をつれて垂水の実家へ避難することができたのですが、地震から1週間もたたないうちに当時の笹山幸俊神戸市長が「(復興のためには)空港が当然必要」だといったのに驚いたといいます。
その後、せとさんの危惧どおり、神戸市は、被災者の生活や営業の再建の支援より、神戸空港はもちろん、新長田駅南再開発など大規模な開発に熱中していきます。
「空港よりも住宅を」と、市民の運動が広がり、「空港建設の是非は住民投票で」の条例制定直接請求には有権者の27%(30万人)が署名しました。

こうした世論の高まりの中でおこなわれた前回市長選挙では、笹山前市長の後継としてたった矢田立郎氏も「変えます、開発から環境と福祉へ」を公約に掲げざるを得ませんでした。
しかし、当選後、この公約はどうなったでしょうか? やめた開発はあったでしょうか?(六甲アイランド南の埋め立ては止まっていますが、いつでも再開できる状態にしてあります)。福祉は充実したんでしょうか? 高齢者や障害者、乳幼児の医療費助成制度も縮小されましたし、いま、公立保育所の民営化も進めて いますよね。

せとさんは、住民投票運動など、ずっと市民の運動にかかわってきました。甘いものは好きだし、マンガも描くし、恋愛観察バラエティ番組(「あいのり」ですね :-) を毎週楽しみにしているし、友だちが結婚すると聞けば祝う会の実行委員に手をあげるし、自宅ではハムスターやプレーリードッグ、インコなど動物たちが走り回っているし、それに、自分で「美人だ」と思っているし........まあ、「ふつーの長田の2児の母」なんですが、実は、2、3年前まで日本共産党神戸市議団の事務局員 (他の会派だと“政策秘書”かな)として10年あまり市政分析などにあたってきて、地方自治にはめっぽう詳しいんです。

せとさんみたいに市民のくらしも分かり、行政にも詳しい人が市長になったら、私も多少は神戸市を愛せるかもしれません。(私はいまだに旧有馬郡出身者のつもりです)

せとさんについて詳しくは:
神戸再生フォーラムのページ

2005年9月24日

「です」でいきます

私は「です・ます」調で書いています。

「です・ます」で書いていると、読者のことを意識しませんか?
「です・ます」だと、独り言は、ちょっと書きづらいでしょ?

でも、「です・ます」で語りかけても、ちゃんと読者に届くかどうか。
そこはよく考えて、文章を磨かなくてはね。


おしらせ
 だれでもコメントを投稿できるようにしました。

2005年9月21日

洪水は我なきあとに…ではなく

私は夜、夢を見ません。朝、覚えていないだけかもしれませんが。その代わり、居眠りをしている間に夢を見ることがよくあります。

私たちは海岸から400mほどにあるマンションの2階に住んでいます。
夕方、家へ帰ってみると、明かりのついていないほの暗いリビングに泥の混じった水がこぼれています。「なにをやったんや?」と跡をたどってベランダへ出てみると、小学校2年生の末息子がほうきで水を溝から掻き出そうしています。「うまいこと、いかへんねん」とか細い声で言い訳をするので、「バカ! こんな天気のいい日にベランダから水をこぼしたら、下の人に迷惑やろ!」と叱ってしまいました。

実際、水はベランダの敷居を越えてあふれだしています。あわてて掻き入れようとしたのですが……。

逆なのです。水流は外からベランダの中へ向かっているのです。

すでに1階部分は没し、水は私たちの住む2階を呑みこもうとしているのです。息子はひとり、おしよせる水とたたかっていたのです。

ここで目が覚めました。このあと私と息子がどうなったのか、わかりません。駅からは歩いて帰ったのですから、マンションの1階から階段を上るほんの1分ほどの間に津波は2階までおしよせています。もう玄関のドアは水圧で開かないかもしれません。

ふだん末息子にはずいぶんと我慢を強いています。生計を立てるのにぎりぎりで、子どもたちをかまってやるゆとりがない――まだ小さいこの子にはつらいことが多いと思います。ときどき、ほんとうにか細い声で抗議してくることもあるのです。

2005年9月18日

神戸女学院石川ゼミ 韓国「ナヌムの家」訪問

神戸女学院の石川康宏先生のゼミ(3年の専攻ゼミ)のみなさんが、昨年につづき、ことしも韓国の「ナヌムの家」*1 を訪問しました。
*1 元日本軍「慰安婦」*2 のハルモニたちが共同生活をしています。
*2 自分の意思で「従軍」したわけでなく、強要されてのことですから、「性奴隷」というのが国連などでの正式な用語ですが...

石川先生のサイト*3 に訪問記*4 が掲載されています。

昨年の訪問の成果は、
『ハルモニからの宿題――日本軍「慰安婦」問題を考える』
(神戸女学院大学総文叢書4、2005.3.15 冬弓舎)
にまとめられています。

ビーズと憲法9条

憲法9条をまもりたいと「9」の形のビーズアクセサリを周りの人に配っている女性がいます。

これは縦5cmの携帯ストラップです。ガラスのビーズ160個でできています。

1つ作るのに1時間半ぐらいかかるんだそうです。いつも材料を手元においていて、家事の合間に作っているんですが、作り始めるとこっちの方が面白くなってね...といって彼女は笑ってました。

総 選挙では自民党が大勝したし、民主党の新しい党首も9条第2項*は変えようっていってます。でも、改憲をっていう声は多数なのかな?

* 平和主義・不戦条約・戦争の制限は昔からあって、そのもとで 戦争が繰り返されてきました。9条第2項は、それを乗り越え、「戦力の不保持」「交戦権の否認」によって第1項で定める戦争放棄をほんものにする役割を 担っている項目のはず。第2項を外したら9条全体が骨抜きになりませんか?

まちじゅうに「9」をあふれさせ、日本国憲法ってどう?って語りあいたいですね。
きっと、9条だけでなく、この憲法をほんとうに実現することが先!ってことになると思いますよ。

ビーズアクセサリをつくるこのやさしい手は、平和を危うくする動きは許せないという、きっぱりとした心をもっているのです。

2005年9月16日

哲学者・高橋哲哉さんの講演会

『靖国問題』(ちくま新書)やNPO前夜などで、憲法や歴史認識についての発言を続けている哲学者・高橋哲哉さんの講演会が芦屋であります。
  • 日時:10月8日(土) 14:00から (開場は13:30)
  • 開場:芦屋市民センター401号室(JR芦屋、阪神芦屋、阪急芦屋川から歩いて10分くらい)
  • 参加費:500円(資料代) 高校生以下は無料
  • 主催:芦屋「九条の会」(0797-35-1503, 0797-38-4667)
総選挙では自民党が大勝したけれど、憲法改定は争点でしたか?
「戦後」責任を果たすため、知的に行動しなくては。

2005年9月15日

宗景正写真展「夜間中学 尼崎市立城内中学校琴城分校の生徒たち」

尼崎市内にある夜間中学の生徒たちの姿を写した写真展がひらかれています。
  • 日時:9月15日(木)~19日(月) 9:30-19:00 (最終日は18:00まで)
  • 会場:尼崎市総合文化センター4階「美術ホール」
会場は阪神尼崎駅北東・国道2号線沿いのアルカイックホールと同じ建物の中です。

このあと大阪でもひらかれます。
  • 日時:2006年1月11日(水)~16日(月) 9:30-19:30 (15日と16日は17:00まで)
  • 会場:大阪市立総合生涯学習センター「ギャラリー」
こちらは北新地駅の近くのようです。



夜間中学はなんらかの事情で義務教育を受けられなかった人たちが、日本語の読み書きを中心に勉強しているところです。在日韓国韓国人・朝鮮人や元中国残留孤児や家族のみなさん。貧しさや戦争の混乱のために学校にいけなかった日本人の人もいます。

この写真展は、写真家の宗景正さんが、製薬会社で働きながら、10年もこの学校での取材を続け、生徒のみなさんと心を通わせ、撮り続けた作品が展示されています。

み んな楽しそうに、そして威厳をもって文字を、日本語を勉強しています。人間は、ほんらい学ぶのが好きなんだって思えてきます。その一方で、いまこうして 学んでいる人たちから学ぶ機会を奪ってしまった歴史を忘れてはならないんだと、この写真展は訴えているような気がします。

(なかには、祖国で日本語教育が強要され、母語を習う機会を奪われていた人もいます。そんな人が、いまようやく、母語を奪った国の言葉の読み書きを習っているということ――日本人としてはどう考えればいいのでしょうか?)


写真集 宗景正『夜間中学の在日外国人』も発行されています(2005年7月、高文研)。でも、やはり、オリジナルのプリントはいいですよ。

開店休業

先日、とある講習会で「ブログやっている人いますか?」ときかれて、手を挙げたものの、開店休業状態ですね。

しかし、ここの仕組みはいったいどうなっているのでしょう?
料金を請求されるわけでもないし、広告が入るわけでもない。
googleにとってどんなメリットがあって、私にこの場を提供してくれているのでしょうか?

「ただほど怖いものはない」??

2005年7月30日

詩人・柏木佳子さん

『詩学』8月号が届きました。
今月号は「作品特集」。最近、評論やちょっとよくわからない座談会(^^;が多いなぁと思っていたのです。やっぱり作品を読みたいですよね。
小 特集は「柏木佳子小詩集」。柏木さんは、ことしの「詩学新人」。受賞時はうちの近所(ってだいぶ距離はありますが)のM女子大4年生でしたが、卒業して郷 里に帰られたのか、それとも、大学院に進まれたのか?まだ、近くにいらっしゃるのなら、いちどお話をうかがってみたいです。
(作品はぜひ『詩学』を買って読んでくださいね)

2005年7月21日

空からみると

google地図検索では衛星から撮った写真も見ることができます。
私のふるさとのあたり(兵庫県の三田市から三木市にかけて)をみてみると、一面にアオムシが....(*0*;;
いやぁ、ゴルフ場が多いとは知っていたのですが、こんなに密集しているとは!

それにしても美しいのは筑紫平野ですね。細かく縦横に水路がめぐらされています。平野の大部分が水田なのでしょう。福岡県の柳川市が有名ですが、平野の半分をしめる佐賀県側もすてきなところのようですよ。

2005年7月18日

文明国

岡倉覚三(天心)「茶の本」(村岡博訳:岩波文庫)を買いました。曰く、
西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。
小泉首相はじめ、戦前の歴史観に固執しようとされている皆さんは、これをどう読みますか?

2005年7月2日

散文詩って

山田兼士さんの『詩学』連載「フランス詩を読む」第28回(7月号)は、ボードレールの散文詩を紹介しています。
その中に、
イメージを主とした空間の対位法こそが散文詩の〈原理〉である
とあります。

散文詩って不思議なものだと思っていました。

韻律や定型を離れても“詩”がなりたつのが、日本語の現代詩の特徴かと思っていたのですが、そうか、イメージにリズムがあるわけなんですね。

“対位法”については、またこんど(^^

とりあえず始めてみました

Blogってなんだかよく分からないのですが、とりあえず始めてみました。
あれこれ思ったこと、まあ、とりとめもなく書いていくことにしましょう。