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2011年4月28日

今を抱くように生きている人

河津聖恵さんから新詩集『ハッキョへの坂』をいただきました。

この間、朝鮮学校が高校授業料無償化の対象から外されたことの理不尽さに抗い『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』をまとめるなど、「カナリア」として奮闘してきた河津さんです。

この新しい詩集には朝鮮学校にかかわる詩ももちろん載っているのですが、「ひとは一つの詩とともに生まれてくる」の末尾;
ただ証すための一篇にいとおしく焼き尽くされるため
この今を抱くように生きている
そんな河津さんの生き方ってすてきだと思うのです。


2010年10月9日

フランス詩のリズム(書きかけ)

Arthur Rimbaud(アルチュール・ランボー)の「Le dormeur du val」という詩を河津聖恵さんが10月5日付blog『詩空間』で紹介ています。140年前の今月、プロシア・フランスの激戦に遭遇した16歳のランボー。死者の寒さに気づいたランボーの優しさと正義感に河津さんは感動したといいます(http://reliance.blog.eonet.jp/default/2010/10/post-9233.html)。


フランス語ではどんな響きがするのだろうかと、Wikipediaを起点に探してみると、『Litterature audio.com』に朗読がありました(http://www.litteratureaudio.com/livre-audio-gratuit-mp3/rimbaud-arthur-le-dormeur-du-val-version-2.html)。原文も見つけました(http://poesie.webnet.fr/lesgrandsclassiques/poemes/arthur_rimbaud/le_dormeur_du_val.html)。



私はフランス語はほとんどわからないのですが、ところどころにある英語やラテン語と似通った言葉を手がかりに読み・聴いています。「D'argent」(銀の)や「Dort」(眠っている)、「il a froid」(彼は寒い)、「Tranquille」(静かな)という語の前または後ろにおく休止が、その言葉を際立たせている、そんな朗読です。

原文の行かえと朗読での区切りが一致しないように思うのです。


さらに、フランスのSaphoという歌手が歌っているというので、探してみると、彼女の公式サイトで試聴ができました。http://www.fxproject.net/sapho/audio.html ;ここの49番めにあります。ロックだと思うのですが、こちらは行かえどおりの区切りで歌っています。


フランス詩では、いったい、行かえはどんな位置づけになっているのでしょうか。


Le dormeur du val
C'est un trou de verdure où chante une rivière,
Accrochant follement aux herbes des haillons
D'argent ; où le soleil, de la montagne fière,
Luit : c'est un petit val qui mousse de rayons.


Un soldat jeune, bouche ouverte, tête nue,
Et la nuque baignant dans le frais cresson bleu,
Dort ; il est étendu dans l'herbe, sous la nue,
Pâle dans son lit vert où la lumière pleut.


Les pieds dans les glaïeuls, il dort. Souriant comme
Sourirait un enfant malade, il fait un somme :
Nature, berce-le chaudement : il a froid.


Les parfums ne font pas frissonner sa narine ;
Il dort dans le soleil, la main sur sa poitrine,
Tranquille. Il a deux trous rouges au côté droit.

こちらでは中原中也による訳詞を引いておきましょう。『青空文庫』に収録されているものです(http://www.aozora.gr.jp/cards/001296/card47296.html)。



谷間の睡眠者
これは緑の窪、其処に小川は
銀のつづれを小草(をぐさ)にひつかけ、
其処に陽は、矜((ほこ))りかな山の上から
顔を出す、泡立つ光の小さな谷間。


若い兵卒、口を開(あ)き、頭は露(む)き出し
頸は露けき草に埋まり、
眠つてる、草ン中に倒れてゐるんだ雲(そら)の下(もと)、
蒼ざめて。陽光(ひかり)はそそぐ緑の寝床に。


両足を、水仙菖((すゐせんあやめ))に突つ込んで、眠つてる、微笑むで、
病児の如く微笑んで、夢に入つてる。
自然よ、彼をあつためろ、彼は寒い!


いかな香気も彼の鼻腔にひびきなく、
陽光(ひかり)の中にて彼眠る、片手を静かな胸に置き、
見れば二つの血の孔(あな)が、右脇腹に開(あ)いてゐる。

2010年8月8日

持ち重みのする詩歌アンソロジー

美術博物館でのボランティアへの出がけ、郵便受けをのぞいたら、ずっしりとした封筒が入っていました。

封筒には差出人が書いてありません。でもすぐわかりました。『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』だ!

A5判、312ページ。持ち重みがします。紙の重さだけではありません。奥付まで省いて、最終ページまでを埋め尽くしている、79人の詩人・歌人・俳人の「うた」の重みです。

書店で和文-欧文混植の書物は珍しくありません(組版は難しいのですが)。テレビ・ラジオで流れる歌にも米語のフレーズがいっぱいです。

でも、和文-한글混植の書物はあまり見かけません。

このアンソロジーによせられた「うた」の多くは日本人による日本語の「うた」ですが、これまで한글のみで書いてきた在日詩人が日本語詩に初挑戦したもの、日本語詩人が한글でうたったものも収録されています(このことの意味もよく考えてみたいと思うのです)。

また、別冊で京都朝鮮中高級学校生16人の若々しい、率直な詩と散文のアンソロジーも発行されています。

河津聖恵さんたちの呼びかけから、わずか1ヶ月という短期日に79人もの「うたびと」と朝高生たちがこうした様々な表記の「うた」でこたえた思いの重みをしっかり受けとめたいと思います。


→『アンソロジー』の購入申し込みについては、河津さんのブログ記事へ




河津さんたちは10日にこのアンソロジーを携え、文部科学省に要請を行う予定です。
ガンバレー!

《Mittwoch, August 11 追記》
要請の様子を河津さんがブログで報告しています。→こちら


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2010年7月29日

続報:詩人・歌人による『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』

前の記事の続報です。
  • 執筆者が79人になりました。
  • ページ数も増えて312ページになりました。
  • 発行日が8月1日に決まりました。お届けは7日以降になります。
  • 京都朝鮮高級学校の生徒さんたちの作品集も付きます!(数に限りがあります。ご希望の方のみ)→詳しくは河津さんのblog
ということです。


世間ではこの問題は少し忘れかけられているような気がします。
このアンソロジーが起こす波が事態を前向きに進めますように!
「うた」に期待してます!

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2010年7月26日

詩人・歌人による『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』

高校の無償化はうれしいというより、やっとという感じなのですが、同じ年齢の青年たちが同じように学ぶ朝鮮学校が除外されるのは変です。うちの次男も高校時代、ラグビーで対戦するなど、他の分野では分け隔てなく扱われている学校です。

兵庫県の井戸知事は官僚出身で保守的な人ですが、朝鮮学校の無償化については「対象から外すべきではない」「朝鮮学校とほかの外国人学校と差を設ける必然性は、本県としてはない」「拉致問題の解決と引き替えにするような事柄ではない」と言ってます(ことし3月16日定例記者会見)。

ことし4月には詩人のみなさんがアピール集『言葉を紡ぐ者は訴えます』を発表しましたが、それに続いて今度は、詩とコメントのアンソロジーを発行するとの案内を河津聖恵さんからいただきました。




★★『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』のお知らせ☆☆

詩人と歌人、合わせて79名によるアンソロジーがもうすぐ完成します!
概要は以下のようです。

タイトル:「朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー」
仕様:A5判縦 312頁
内容:79名の詩人と歌人による、コメントと作品のアンソロジー。
頒価:1部1,000円(送料込)
発行日:2010年8月1日

参加メンバー:愛沢革、相沢正一郎、葵生川玲、淺川肇、阿曾都、石川逸子、一色真理、伊藤芳博、岩崎リーベル豊美、上野都、宇佐美孝二、内田良介、大田美和、大橋愛由等、呉香淑、呉紅心、呉順姫、金子忠政、上手宰、河津聖恵、北川朱実、金敬淑、木下裕也、金里博、金忠亀(短歌)、金芳順、金正守、金明恵、久々湊盈子(短歌)、康明淑、草野信子、 くにさだきみ、倉田昌紀、甲田四郎 、高賛侑、今野和代、斎藤恵子、佐川亜紀、佐相憲一、沢田敏子、柴田三吉、秦勝元、神泉薫、徐正人、鈴木比佐雄 孫志遠、髙塚かず子、髙木護、竹村正人、趙南哲、崔龍源、崔梨奈,蔡徳浩、津坂治男、辻井喬、寺岡良信、徳弘康代、苗村吉昭、永島卓、にしもとめぐみ、野樹かずみ、野村尚志、朴才暎、朴泰進 原田麗子、日原正彦、福原恒雄、許玉汝、松尾静明、松岡政則、御庄博実、水島英己、望月苑巳、山田隆昭、四方田犬彦、梁学哲、李芳世、龍秀美、呂剛明

詩と短歌の原点である「うた」が本来持つ「うったえる力」。
79名の詩人・歌人が除外問題に向き合い、
言葉の暴力と差別意識を越えたあらたな共同性をもとめて
この国の現在に向かって「うたいあげ」ます。
この問題に危機感を抱くすべての人に読んでいただきたいと思います。


ご購入希望の方は私のアドレス(kiyoe51803291アットkibドットbiglobeドットneドットjp)まで予約メールをいただくか、
郵便振替 00970-1-126241 足立聖恵(アダチキヨエ)まで
ご希望の冊数を明記し、お振り込みください。




なお、書面でいただいた案内を私が入力し直しましたので、誤字などは私=森=の責任です。

また、銀行から振り込む際は次の店・口座番号になります(これも私=森=調べ)
銀行名:ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
店番:099
預金種目:当座
店名:〇九九 店(ゼロキユウキユウ店)
口座番号:0126241


なお、河津さんのblog「詩空間」の記事にもっと詳しい事情が書かれています。ぜひご覧ください。


河津さんの詩は、現代詩文庫『河津聖恵詩集』が入手しやすいですよ。


(7/28 河津さんのblogにより最新(最終)情報に改訂しました)
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2006年8月23日

ゲド戦記/The Books of Earthsea

宮崎吾朗氏の「ゲド戦記」はやはり観にいかないことにします。

娘(カット屋さんM.M.)にせがまれて映画「ゲド戦記」の解説本(小学館)を買ったのですが、原作とちょっと違いすぎません? 映画は独立した作品ですから、違っていて当然なんですが...

原作のアレンは、それなりに貴族としての立ち居振る舞いを身につけ、そして、ゲドに見込まれるだけの素質はもっていますが、それを除けば、ごく普通の青年ではないでしょうか。だからこそ、思春期の葛藤の中にある若い読者が共感できるのでは?
映画のように父殺しをするほどに心を病んだキャラクターにする必要があるんでしょうか?

テナーが村人たちから蔑まれるのは、「女まじない師(原作はそうでないけど)だから」ではなく、「女性だから」として描かないと、"Tehanu"の主題はなんだったのか?となりますよね。

テルーも美人すぎ。やけどのあとが目立たないです。これではテルーが受けた心の傷もわからなくなるのでは?


娘も解説本を見て、「お話がよく分からない。でも、絵がテレビアニメみたい(ーεー)」と厳しい評価を下してました 。
これも気になるところなんです。宮崎駿氏の「となりのトトロ」を見たとき、なににびっくりしたかっていうと、背景の草や木が「草」や「木」じゃなくて、ひとつひとつの個体がそれぞれの種を特定できそうなほどに緻密に描かれていたことなのです。
この解説本に載っているシーンだけなのかもしれませんが、映画「ゲド戦記」のは、娘のいうテレビアニメのように、草が単なる「草」に退化してる——。アースシーの魔法の基本は、まずは人や物事の真の名前を知ることですよね。ところがこの映画では、背景の草木が真の名前を知られることなく、打ち捨てられているのです。

宮崎吾朗氏はこの解説本で、背景ではなくキャラクターについてなんですが、「絵が緻密だと、どうしてもそちらに見入って台詞を聞かなかったりするでしょう。でもゲド戦記は、原作が言葉によってなりたっているような作品です。だから、言葉がきちんと伝わるようにしたかった」と書いています。
これはちょっと変ですよね。だったらわざわざ映像化する必要はないでしょう? 原作が言葉で語っているものを、目に見えるかたちにする——直訳的・即物的な描きかただけでなくて、象徴的な方法もあるでしょうに、それが映画が小説とは別のジャンルとしてある意味じゃないのかなぁ...


原作者Ursula K. Le Guinさんの"Gedo Senki, a First Response"を読んだら、UKLさんも映画のできぐあいを歓迎していないようです。
(これはUKLさんのサイト http://www.ursulakleguin.com/ に載っています)


それにしても、「ゲド戦記」というシリーズ名がよくなかったですね。岩波書店が付けたんでしょうか。
小学生のころ「ナルニア国」ものがたりに夢中だった私も、『影との戦い—ゲド戦記I』が出た時には、すでに反戦思想を固めていたので「戦記」ということばにじゃまをされて、このシリーズに接する機会をいままで失っていました。
原作者が呼んでいる"The Books of Earthsea"というシリーズ名にしてくれていればよかったのに。

2006年6月20日

1972年

小川洋子さんの『ミーナの行進』 *を読みました。
1972年(学校のひとくぎり)にはずいぶんいろんなこと**が起こったんですね。
私はミーナと同学年。語り手の「私」は1学年上ですね。『ミュンヘンへの道』も見てましたし、ジャコビニ流星群の夜も曇り空をながめてました。ただ、芦屋じゃなくて、六甲山の裏側をむこうの方にながめる小さな谷にいたのですが。
それにしてもこの小説には本への愛情があふれてますよね。主題はこっちの方じゃないかと思うぐらいです。

なんといっても私の好きなのは、「印刷間違い」をひたすら探す「伯母さん」。
「見つけるとどうなるの?」
「……別に、どうにもならない」
「分厚い本一冊を何日もかけて調べて、結局一つも誤植が見つからないこともある?」
「もちろん。滅多には出会えないのよ。宝石を掘り出すみたいなものね」
そして、ミュンヘンオリンピック・バレーボール準決勝戦……

こんなにも美しい「印刷間違い探し」さんを描いてくれた小川さん、ありがとう!


*2006年4月, 中央公論社刊(2005年2月12日 - 12月24日の毎週土曜日の「読売新聞」に連載
**この小説には触れられていない出来事も多数です。思い出せますか?
***写真は本の挿画にも使われている寺田順三さん作のマッチ。いっしょに写りこんでいる銀色のものは……