今日、ちらりと、参議院本会議の中継を見ました。
1日の所信表明演説については「カタカナ語が109回」という報道もありましたね。
「エレベータ」など日常的に使われているものや、「バイオマス」なんて専門用語はともかくとして、「日本がアジアと世界の架け橋となる「アジア・ゲートウェイ構想」」とか「グランドデザイン」とか、わざわざ米語(和製?)でいう必要もないでしょう。
「カントリー・アイデンティティー」が問われませんか?
今日の答弁でも教育の目的を「美しい国、日本」実現のためと繰り返し強調してました。
教育の目的を国民の人格の完成自体ではなく、それを国家づくりのためにとするのは、旧憲法・教育勅語の教育観を彷彿とさせませんか?。
ところで、お隣の国ではアメリカ合衆国のことを表音的に「美国」(미국)と書きます。
「美しい国、日本」の「カントリー・アイデンティティー」は本物なのでしょうか?
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