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2018年1月1日

2018年、新年のごあいさつ

恭 賀 新 年


旧年中は一方ならぬ御高配にあずかり誠にありがとうございました
皆様のご多幸をお祈り申し上げます

さて戌年 弊社も出番です イヌ科です

もともと極東にしかおりませんでしたので学名「Nyctereutes procyonoides」―属名は〝夜の探索者〟種小名は〝アライグマのようなもの〟―のように

  • 「raccoon dog 」〔英〕(アライグマ犬)
  • 「Енотовидная собака」〔露〕(アライグマ犬)
  • 「Marderhund」〔独〕(テン犬)

など欧米の人たちからはそれぞれに身近な生き物の名を借りて呼ばれています

  • 日本では「狸」
  • 韓国でも「너구리」の리は「狸」でしょう
  • ところが中国では「貉 hé」

あれ? 「狸 lí」は〝山猫〟なのだそうです 弊社の社章 実は「九条ねこ」なのですが案外「窮狸」を正しく表しているようです

本年も何卒ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします

  共通暦二〇一八年 元旦

2017年1月1日

2017年始まりのご挨拶に代えて


パウル・クレーが「Die Zwitscher-Maschine」を描いたのは1922(大正11)年。

この年、ワシントン海軍軍縮条約、中国の主権・独立・領土保全を認める9カ国条約が結ばれています。日本では全国水平社創立、日本農民組合結成、女性の集会参加を許す治安警察法改正などがありました。日本共産党結党も同年7月。その一方、イタリアでは10月にムッソリーニのファシスト政権が成立し、翌月「年末まで」と限り「秩序回復」名目に独裁権が与えられます。ロシアではスターリンが党書記長に就任しています。ドイツでヒトラーがミュンヘン一揆を起こし、失敗したのは翌23年ですが、そののちナチス・ドイツ成立の1933年、この作品は「退廃芸術展」に展示されることになります。

95年後のいま、さえずることとは? レバーを回すのはだれ? いろいろ考えたくなります。


絵の画像データはWikimedia Commonsから:https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Die_Zwitscher-Maschine_(Twittering_Machine).jpg#mw-jump-to-license

2014年1月15日

ことしもカレンダーを作ったけれど…

「週単位で仕事をする人のためのカレンダー」、ことしも作った。でも、ことしは自分の業務用に徹して、遊びなし。判型も小さくした。



PDF版はこちらに置いてあるけど、いらないよね。

普通のカレンダーのように月ごとじゃなくて、週が途切れないこのデザインは2012年から作っているんだけど、OS X 10.9からカレンダーアプリが同じ形式になった。

2013年1月4日

経籍繙更黄、渾欲不勝筆、

明けましておめでとうございます。

Blog読者のみなさまには遅くなりましたが、新年の挨拶を申し述べさせていただきます。



ことしは芋版を使ってみました。むづかしい…  スタンプ台を使えば簡単だろうと思ったのですが、版にインキがなかなかのりません。

背景は、彌永昌吉・彌永健一『集合と位相 I 』(岩波講座 基礎数学)のp. 25。無限系譜として自然数が立ち上がるところです。岩波講座基礎数学は学生時代に買ったものですが、通読したのは『線形代数』のIとIIだけ、この『集合と位相 I 』は十年ほど前に半分ほど読んで行き詰まったままになっていました。それを昨年からまた読み始め、また行き詰まって、最初からもう一度、読み直しているところです。理解が用紙の酸化にまったく追いついていません。余命は20年ぐらいでしょうけど、なんとかこの講座を読み通したいと思っています。(学問の進歩とはまったくはずれたところにいるので、これでいいのです)

なお、標題は杜甫「春望」のパロディです。こういうもってまわった冗談も癖になってきました。

こんな私ですが、ことしもよろしくお付き合いください。

2012年12月6日

52週はたらく人のためのカレンダー CE2013版

昨年につづいて「52週はたらく人のためのカレンダー」をつくりました。

普通のカレンダーだと月をまたぐ週が、週単位で仕事をしている私にとっては見にくいのです。

ごくごく趣味的に地球の動き、月の動き、惑星たちの動きを記しています(『理科年表』によりました)。しかも、それぞれの時刻も示しました。

例えば、11月の望は18日なのですが、その時刻は0:16分。これは未明ですから、「18日の夜」にはもう十六夜月に近くなっています。実感的には「17日の夜」が満月なのです。そんなことが分かるようにしました。

内惑星は東西の最大離角の日を、外惑星は衝の日を示しました。冥王星が入っているのは作成者が「どってんかいめい世代」だからです。


来年は、欠けながら没する部分月食がなんとか見えるぐらいで、空は地味な年のようです。でも、中秋の名月は9月19日の夜8時ごろ、眺めるのにちょうどよい高さに正真正銘の満月がかかるはずです。7月2日は半夏生ですが、冥王星が衝。なにやら妖しげな日になりそうです。



PDFをサイトに置いてきましたので、よろしければ、ご自由に(かつ自己責任で)お使いください。https://sites.google.com/site/amplexicaule/file_cabinet

[12/24 第2版] 流星群の極大日も載せました。なお、日曜日に振ってある通し番号は私が作っている新聞の号数です(ちょっとおじゃまでしょうが、消し忘れました ^^)

2012年1月4日

ことしこそは よいとしに


昨年も「よいとしに」と書いたら、とんでもない年になってしまいました。ことしこそはみなさんにとって、ほんとうによいとしに!


2011年12月19日

52週はたらく人のカレンダー

自分用のカレンダーをつくりました。

週刊の新聞をつくっているので、普通のカレンダーみたいに月ごとに区切られていると、第一日曜日付の原稿締め切りなどを間違えやすいのです。

それで、一年間切れ目ないものをつくった次第です(用紙の都合で半年二段組みになってますが)。実際、切れ目無く、くるくる仕事してますから…


ちょっと潤いに二十四節気と月の満ち欠け、蝕を書き込んであります。節気には太陽黄経を書き添えました。ぐるんと軌道を回っているのを実感したいのです。蝕も見逃さないよう開始時刻を添えてあります。


私の新聞の号数を記入していない版を次のURLで公開しますので、よろしかったらお使いください。
InDesign CS4版とPDF版を置いておきます。

https://sites.google.com/site/amplexicaule/file_cabinet


2011年1月1日

ANNVM NOVVM FAVSTVM TIBI PRECOR!

Annum novum faustum tibi precor!

しあわせなあたらしい年をあなたに!



辛卯元旦




2009年7月22日

部分日食:なんとか見えた

今日は曇りでだめかな?と思っていたら、だんだん雲が薄くなってきました。厚い雲、薄い雲が通りすぎ、見えます! 見えた!

ちょうどよさそうな雲を待って、コンパクトデジタルカメラで撮った*のが上の写真。肉眼でも欠けているのが見えてます。食の最大時刻の10分前、10:56分のものです。


ところで、子どもたちに見せようと、朝からピンホールカメラ*を作ってました。(日食グラスは買いそこねたんです)。

これです。先週、リビングの蛍光灯が壊れてしまって、新調した、その空き箱でちょちょいと作成。直径1mmほどのピンホールで、焦点距離 :-) は600mm。太陽の像は直径3mmぐらいにしかなりませんが、それでも欠けているのは判ります。晴れていれば、もっとくっきり見えだろうな...

太平洋上からの皆既日食中継にはとても及びませんでしたが、子どもたちもちょっとは“感動”してくれたかな?



*Nikon COOLPIX P60, 電子ズーム4倍で35mm判換算720mm, F=10.9, S=1/800, ISO 80
*2012/2/11追記:ピンホールカメラの作り方は国立天文台サイトに説明があります。
 http://www.nao.ac.jp/phenomena/20120521/obs.html


2009年3月10日

偶然の祝福…ではなく。いや、そうかも…

きのう、母方の伯父の通夜にいってきました。 

片道小一時間かかる電車の中で、いま読み続けている泉井久之助『ラテン廣文典』を開いたら、例文が… 
   Nemo mortem evitare potest. 
 ネーモー モルテム エーウィーターレ ポテスト。
 何人も死を避け得ない。
  … 
 Quis mortem evitare potuit ? 
 クィス モルテム エーウィーターレ ポトゥイト? 
 誰か死を避け得たか? 

 享年88歳。正月から体調を崩したものの、入院することもなく、うちの畳の上で旅立ったそうです。いまではめずらしい最期かもしれませんね。私の実家では、曾祖母がそんな風に亡くなったけれど、その後は祖父も祖母も病院で、いっぱい管を付けられて息を引き取りました。 

 今日のお葬式には行けなかったので、埋葬はどうしたのか知りませんが、伯父のうちや、うちの実家のあたりは、とても古風で、まだ土葬をしているところもあります。 私もできれば、この伯父のようにと思いますが、かなわないでしょう。 

で、通夜のあと、例のごとく徹夜をすべく、職場へ戻る電車の中で開いた『ラテン廣文典』の例文は…
   Quae gloria est miseriae pauperum illudere ? 
 クヮェ グローリア エスト ミセリアエ パウペルム イッルーデレ? 
 貧しき人々の困窮を弄ぶとは何の栄誉ぞや? 

 現実の世界に戻ってきました。「大企業」という名の栄誉をもつものの横暴と闘わねばなりませぬ。

2009年1月7日

謹賀新年



「なにが『めでたい』ねん!」とお叱りをうけそうな今年のお正月ですね。
でも、力と知恵を合わせて『めでたい年』にしましょうよ。
...てなことは全然書いてない、年賀状です :-)

  • 充棟汗牛 長年、憧憬してきたところではありますが、住宅事情、経済事情が許しませぬ。仮令、これらが解決するとも、これからどれだけ読めるものだか。
  • 牛飲馬食 斯くも喰ろうてはおりませぬ。されど何故メタボに?
  • 鶏口牛後 頭やないと、あかんのかいな。不当な評価はごめんやけど、尻尾にも尻尾の沽券があるぞかし。
  • 呉牛喘月 そういえばそうだな。もう幾許か果敢かつ気楽に生きてみましょうか。

2008年1月24日

言い訳

このブログ長らく、放ったらかしにしてました。
もともと、人モスナルぶろぐトイフモノヲ、我モシテミムトテスナリ、という程度で始めてしまったもの。
なにかを系統的に書こうなんて構想があった訳ではないのです。
... と言い訳をしながら、久しぶりに書こうとしたら、ここのエディタがSafariにも対応するようになってますね(Safariの方が対応したのかな?)。ともあれ嬉しい(^_^)

2007年7月5日

ラガーマンの作品1


ラガーマン(次男)が高校の実習で作ったもの。円柱状の鉄材からヤスリで削り出す課題なんだそうです。6時間ぐらいかかったとか。

こっちの端と向こうの端で厚みが1mmほど違ってるし、ネジも垂直にはならなかった。難しいものだね。

でも、ゲームばかりやっていた君が、こうやって、手仕事:現実のモノとの格闘にとりくんでくれるようになって、私はうれしいよ。

ラグビーも勉強・実習もがんばっておくれ。

2006年10月6日

カット屋さんM.M.月へ行く

うちの娘(カット屋さんM.M.)が算数の宿題をやっていました。
月までの距離は38万4千km。時速25kmの自転車で行くと何日かかるでしょう?

M.M.曰く「月まで自転車で行けるんや!」「…!」

どうも、空に見えている月まで「自転車で行ける」ことに感動してしまって、計算を忘れています。

「ほらほら、時速25kmいうのは1時間で25km進めるいうことやろ...」「何時間で1日や?」と助け舟を出してやると…

「640日?」「2年ほどで行けるんや!」とまた感動しています。

そばで寝転がってテレビを見ていた長男が「あほか。1日中、自転車漕いでられるわけないやろ」と、高校生らしい“的確な批判”をよこすので、「じゃあ、1日8時間漕ぐとしてみたらどうかな?…」とアドバイスする不適格な父(つまり私)。

M.M.は月へたどりつけるのでしょうか?

2006年9月1日

appe-toppe

妻が机のそばに落としていた文庫本を拾い上げてみると『論理的な話し方が面白いほどできる本』なるものでした。
今日、私がふと買ってみた新書本の副題は「非・論理コミュニケーション」...

さてもさても、あっぺとっぺな夫婦です。

2006年6月29日

とふや、こうや、たたみや

私の故郷は、昔からのいい方でいうと、摂津国有馬郡上大沢村です。「大沢」は「おおぞう」と読みます。
うちの近所では、家(うち)の呼び方に3種類ありました。
  1. 戸籍上の姓で呼ばれているうち:榎本、辻井 etc.

  2. 地名にちなんで呼ばれているうち:とっとうえ、どのうえ etc.

  3. 職業名で呼ばれているうち:とふや、こうや、たたみや etc
「榎本」家、「辻井」家は安政時代から名字帯刀、藩主(三田藩:九鬼家)の目通りを許されていた名士です。

「とっとうえ」は「一番上」という意味で、ここのうちは、村で一番標高の高いところにありました。峠のこじんまりとした、わらぶきのうち。ここの「とっとうえのおばさん」も、いつも丸顔いっぱいに笑みをうかべている小柄なおばあさんでした。

「どのうえ」は「堂の上」。集落の上にお堂があったようですが、その上にうちがあったんでしょう。私が子どものころには、集落の中にうちを移していましたが、それでも、むかしどおり「どのうえ」さんと呼ばれていました。


不思議なのは三番目のグループなんです。「たたみや」はもちろん「畳屋」、「とふや」は「豆腐屋」、「こうや」は「紺屋」ですが、「たたみや」以外は、私が子どものころには、豆腐づくりや染め物をしていた様子はもうまったくありませんでした。
上大沢村は60戸ほどですから、こんなところで、豆腐屋や紺屋をやって商売になっていたんだろうかと、不思議に思っていたのです。


そして、私の実家は「森」姓です。周りからも「森」さんと呼ばれていました。ですから上の区分でいうと一番目のグループにあたるのかもしれません。でも、私のうちの伝説によると、ご先祖さんが、江戸時代に一度、夜逃げ(逃散)し、菟原郡(うはらぐん)森村へ身を寄せていたから、その後、大沢村へ戻り、明治になって「森」姓を名のることになったのだといいます。ですから二番目のグループに入りそうです。


ところが、先日、網野善彦さんの『続・日本の歴史をよみなおす』*を読んでいて、はたと思い当たりました。
網野さんは、この本で「百姓」=「農民」との従来の思い込みの誤りを指摘し、近世以前の日本社会が、農民以外にも多様な職業をもつ人々によってつくられた社会であったと主張しています。

筑摩学芸文庫版のpp.250-252で、江戸時代末期の『防長風土注進案』に記録されている、現在の山口県上関にあたる地域の職業別戸数が紹介されていますが、そこには、豆腐屋、紺屋、畳職も出てくるのです。

『大沢町誌』**には、江戸時代はじめの方の延宝年間に作成された「村明細帳」が収録(pp.90-97)されていますが、それをみると、上大沢村は、全67軒の内、高持百姓が53軒、無高百姓が14軒となっています。「無高」***というから土地を持たない小作人で貧しいうちかと思っていたのですが、「とふや」「こうや」「たたみや」はこの14軒の内に入っていて、田んぼを持たなくてもそれぞれの職業で暮らしていけたうちなのかもしれません。

同じ資料では、となりの中大沢村は、全64軒の内、無高地が26軒、4割をしめています。中大沢村は、明治時代1889年の町村制施行で、神付、上大沢、中大沢、日西原、簾、市原の6箇村が合併して「大沢村」になった時、村役場や小学校などが置かれましたから、それ以前からも周辺の村々の中心であり、「無高」のうちの多さは、豆腐屋や紺屋をはじめ、商業やさまざまな職人の存在を示してるのではないでしょうか?

また、私のご先祖さんたちが六甲山を越え森村へ出てきたのは、夜逃げではなく、ひょっとして、海運や商業をするためでは? 夜逃げしたことを記念して姓をつけるということは、ちょっと変でしょう。明治はじめのわが家の当主(私のひいひいおじいさん)がよほどのユーモアの持ち主でないかぎりは。



* ちくま学芸文庫『日本の歴史をよみなおす(全)』に収録
** 1991年、大沢町まちづくり協議会発行
*** 『大沢町誌』では別の箇所(p.71)で、「無高地=かくし田のこと」と解説していますが、「村明細帳」は藩主への報告書ですから、「無高=石高・田畠をもたないうち」ではないでしょうか?