2015年3月25日

陽当たりのよい道

幹線道路から右へそれると、ごく緩やかな登り坂。

車は通らない。舗装もされていない。道の両側は畔のようにきれいに刈ってある。

明るい穏やかな陽がさしている。

坂のてっぺん(あまり緩やかなのでてっぺんともいいにくいけど)の右側に参道の入り口がある。尾根が平地に降りきるその少し上を横ぎる形で坂道が通っていて、その尾根にそって参道が登っているわけだ。

参道の入り口には灯篭や松並木があるだけで、鳥居や山門はない。お寺なのかお宮さんなのか分からない。




……これもいつだったか、うたたねで見た夢。ここには行ったことがない。どこなのか、それすら分からない。夢では坂道の途中から参道の方を眺めているだけ。その明るい陽の中でぼんやり喜んでいる。

ひいおばあさんが古布などを入れていたみかん箱ほどの木箱に、高野山だろうか、お寺がいくつもある山の絵が貼ってあった。その中の道なのかもしれない。


……いつか私がその参道を登っていく日が来るんだろうな。向こうで母が待っているかもしれない。


2015年3月24日

入れ子の夢

うたたねをするといやな夢をみる。

子どもを一人亡くしてしまう。
溺れてしまったのだ。
探して探して、見つけた時には、手のひらに載るほど小さな体になっていた。その小さな冷たい背中を撫でてやる。

私は疲れて眠っている。

どこなのか、大きな吹き抜けのあるコンクリート造りの家。いとこの誰かのところなんだろうか。

インターホンでそこの奥さんが「これなに?」と夫に尋ねる。「オウゴンゾウムシだな。珍しいから写真に撮っておきなさい」と応えている。屋上ではそこのうちの子ども(成人している)たちがバーベキューで歓声をあげている。

下階に降りていくとお寺のような広いよく磨かれた木の廊下。「あ、お父さん」と私を見つけてうちの娘が声をかける。三男もいる。私はそのまま廊下を歩いていく。どこへ?

…というところで目が覚めたので、起き上がる。うたたねをしていたつもりなのに、ズボンもシャツも脱いでいた。

ズボンを履きかけたところで、本当に目が覚めた。


(溺れた子どもは長男でも次男でもないと思う。その前、生まれてこなかった二人の子どもたちなのかもしれない。)