これは金子光晴の『鬼の子の唄』から「風景」、その冒頭です。高校で使った教科書に載っていました。この詩についての授業はなかったのですが、それから30年、記憶に残り続けています。いきのこつた一匹のしやうじやう蠅が自分の影に追はれて
まひまひしてゐる。
年月がゆき、ペトンで固めた角ばつた地球は、
最後の栓をとぢた。
……もう誰もゐない。
先日、岩波文庫の『金子光晴詩集』(清岡卓行編)が復刊されているのを見つけて買いました。さっそく「風景」を読んで驚きました。
「昭和一七・九月」という日付がつけられているのです。
私はこの「風景」が核戦争のあとのことだとばかり、思っていました。まだ多くの国民が「神風」を信じていたころに、金子さんは、いったいどのようにして、こんな「風景」を描くことができたのでしょうか。
さんらんたる石女よ。第2 次世界大戦は、この「風景」にまで突き進みはしませんでしたが、地上の大半をまきこんで終わりました。自分たちを戦争に駆り立てた国家を自ら打ち倒してつ くったものではなく、連合国から与えられたものであるにせよ、日本国憲法が歓迎されたのは、もう戦争はこりごりだという当時の国民多数の実感によるもので しょう。
いま、戦争を知らない人たちが、憲法9条2項を変え、平和主義を骨抜きにしようとしています。憲法の精神を実現することをかかげた教育基本法を変え、国民を国家の道具とした戦前の教育に引き戻そうとしています。侵略戦争の加害責任すら否認しようとしています。
私も第2次世界大戦は知りません。しかし、歴史は学ぶことができます。また、今この瞬間にもイラクはじめ世界で武力による抑圧や戦闘は現に起こっています。
不用になつた空のきよさ。あかるさ。やさしさ。核の時代、次の世界大戦では金子さんが予言した「風景」が現実のものとなるでしょう。私たちは「石蚕」ではありません。「叡智あるヒト」として、歴史を逆行させようとするものとたたかいたいと思います。
(きょうはちょっと気負い過ぎましたね。でも、たまにはこんなのも書かせてください)
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