2007年6月27日

清水九兵衛「朱甲容」

清水九兵衛(1922-2006)の作品「朱甲容1990」です。

私の通勤途中の「とある施設」に設置されています。ずっと気になっていたので、先日、そこの職員に写真を見せて、作者名や作品名を聞いてみました。
フロア案内の人も、この作品のすぐ近くに部屋をもっている部長氏も、「これはどこにあるんですか?」と逆に私に尋ねる始末。

やっと担当部署を見つけて、作者と作品名が聞けたました。

「とある施設」とは「芦屋市役所」。南館玄関の向かい、車寄せピロティの奥のニッチのような小庭にあります。南館の竣工(1990年)に合わせて制作されたとのこと。

清水九兵衛氏は、「親和(affinity)」=周囲にとけ込む調和を志向したそうですが、こんな「真っ赤」なものがそこで毎日働いている人たちの意識にものぼらないほど「親和」しているようです。「朱甲容」は東京都庁にもあります。<p>

2007年6月10日

土砂降りの残党


雷の連中、きょうは二度もにぎやかに土砂降りをやってくれました。
六甲山にキャンプに出かけている末息子も楽しんだかな?

その残党を夕方、わが家の沖にみつけました。

2007年5月31日

Journal of the Sendai International Cultural Society

 古本屋って、古い雑誌も魅力的です。

これは、神戸の後藤書店で見つけたもの。神戸の中心的商店街の、しかもその駅よりの入り口近く、最も人通りの多いところにある古書店なのです。店先にはいつも、3冊2,000円など(この店では)比較的安い本が段ボールに何箱も出してあります。そのうち1/3ぐらいは洋書、英語だけでなく、フランス語のもたくさんあります。私はこれをのぞくのが好きなのです。


その中に『SENDAI…』というタイトル。ひょっとして、母校の?と手に取ってみたのがこれでした。

『Journal of the Sendai International Cultural Society』、1940年刊行のものです。国会図書館で検索してみると、この号しか所蔵されていません。1940年という時期からすると続けては刊行できなかったのでしょう。

天地22.7mm、左右15.6mm:菊判よりちょっと大きめ? 本文168ページ。


執筆陣がすごいです。村岡典嗣、中村吉治、金倉圓照、野上豊一郎、藤原松三郎、武内義雄、西田幾多郎。

また、各論文のタイトルからもわかるように、本文は英語、フランス語、ドイツ語で書かれています(村岡、金倉、西田の3本は翻訳です)。

武内氏の「老子」は、岩波文庫『老子』よりも少し後の執筆です。


知人の数学史研究者に調べてもらったら、図書館では国会図書館とあと2館にしか所蔵されておらず、藤原氏の論文は既刊の論文集にもまだ収録されていないものなのだそうです。

発行当時、Sendai International Cultural Societyがおかれていた東北大学の附属図書館にも所蔵されていなかったので、これを寄贈することにしました。

2007年5月5日

一段落?

このblogはじめ、Net上、“あちら”も“こちら”もごぶさたしてました。 

 新年度、次男、長女(カット屋さんM.M.)もそれぞれ進学。妻も市議会議員に当選。わがやの生活が一新しました。 

 毎日の朝ご飯と弁当は私の当番になって、生まれてはじめて朝型人間になりました。

 妻が当選したのもうれしいですが、いちばんうれしいのは、次男が「勉強はわからん」といいつつも、中学時代の遅刻常習犯から一変して、朝、家族で一番先に出かける、ラグビーに熱中しだした—など、楽しそうに工業高校での生活を始めたこと。将来も若者の雇用・労働状況はたいへんそうだけでど、がんばれよ。

# 年度末には私が頸を痛めて入院というオマケも :-) 
# 入院している間に四半世紀ぶりにくすぶりはじめた焼け木杭:非平衡の熱力学の勉強は、選挙で中断してましたが、ぼちぼち再開しましょうか...

2006年11月22日

BSD復活


職場の原稿書きPCをWindowsXP機からNetBSD機に換えました。
Windows機のファン音があまりにうるさかったので、同僚に前世紀末のPCを格安(2000円)で仕入れてもらったのを機にBSD系へ戻ることにしたわけです。

原稿=テキスト執筆が主な作業なので、そもそも「文書処理」を開発名目としていたunixがやはり、作業台としてはふさわしいのです。
ほとんどの作業がコマンドラインで済むのがうれしいです(^_^)

2000円とはいうもののCPUはPentiumIII 666MHz、これに手持ちのメモリ512MB、80GBハードディスクを載っけているので、以前、FreeBSDを使っていたころからみると夢のような高性能PCです。最近デスクトップ環境が充実してきたと聞いていたので、当初は、PC-BSDやSuSE Linuxもインストールしてみましたが、どうもデスクトップ環境は各構成部分の依存関係が複雑で、管理するのが面倒な印象がぬぐえず、ちょっと硬派にNetBSDを採用することにしました。

NetBSDでもデスクトップ環境は使えるんですが、それは採用しないことにしました。
見た目は上の画像のとおりです(ディスプレイは1024x768ピクセルです)

2006年11月5日

世界史未履修でも一応、問題なし

先の記事「家庭科未履修」は私の認識不足でボロボロです。
http://lamium.blogspot.com/2006/11/blog-post.html

今日付で追記したとおり、私の高校時代はまだ世界史が必修ではなかったのです。

2006年11月1日

家庭科未履修

私は兵庫県の三田学園(私学/中高一貫/男子校)を「卒業」しています。

けさ11月1日付『神戸新聞』に、兵庫県教育委員会が遅ればせながら発表した「必修科目未履修が判明した高校」のリストにわが三田学園も、灘、兵庫など名だたる進学校といっしょに並んでいました。

三田学園での未履修は「家庭基礎 271人」。この人数は全生徒ですね。
社会面には、高校部の現校長が「土曜日を月1回休みにするなど授業数が少なくなる中」と、その経緯を説明したコメントが載ってました。

私は第1回「共通一次試験」の受験者で、家庭科男女共修になる前ですから「家庭科未履修」ではないとは思うのですが、世界史は生徒の側からの要求で1学期途中から政治経済に切り替えました(世界史の先生が、古墳の話ばかりして、世界史自体の授業にちっとも入らなかったので、先生を更迭するか、科目を変えるかと学校に迫ったのです)(この段落、最初は、家庭科が当時も必修だと誤解して書いてましたので修正しました)

★11月5日追記:世界史が必修になったのは1979年の学習指導要領告示からでした。ですから、私が高校生だったころは、家庭科だけでなく世界史を履修しなくても、学習指導要領上はまったく問題がなかったわけです。


なお、私がいま住んでいる学区にある県立芦屋高校は、昨年度から単位制になったのですが、単位制への移行にむけての事前説明会(主に中学生の保護者を対象におこなわれたもの)で、校長(教頭だったか?)は、生徒の興味・関心に応えるためという一方で、進路(つまりは受験)にみあった科目選択ができると「利点」を強調していました。芦屋高校では単位制の3年生はまだいませんから、今回の未履修問題では名前があがっていませんが...

未履修については、学習指導要領に従っていないことで問題とされていますが、そもそも教育基本法の規定からも逸脱しているのではないでしょうか?

教育基本法では、第1条で教育の目的を「人格の完成をめざし」と定めています。家庭科なんて男子校では「人格の完成」とは関係ないのでしょうか?

長年疎かにしてきた教育基本法の規定を本気で実行することこそが、いま必要なのではないかと私は思うのです。

2006年10月6日

カット屋さんM.M.月へ行く

うちの娘(カット屋さんM.M.)が算数の宿題をやっていました。
月までの距離は38万4千km。時速25kmの自転車で行くと何日かかるでしょう?

M.M.曰く「月まで自転車で行けるんや!」「…!」

どうも、空に見えている月まで「自転車で行ける」ことに感動してしまって、計算を忘れています。

「ほらほら、時速25kmいうのは1時間で25km進めるいうことやろ...」「何時間で1日や?」と助け舟を出してやると…

「640日?」「2年ほどで行けるんや!」とまた感動しています。

そばで寝転がってテレビを見ていた長男が「あほか。1日中、自転車漕いでられるわけないやろ」と、高校生らしい“的確な批判”をよこすので、「じゃあ、1日8時間漕ぐとしてみたらどうかな?…」とアドバイスする不適格な父(つまり私)。

M.M.は月へたどりつけるのでしょうか?

2006年10月4日

「美しい国」∈「美国」?

今日、ちらりと、参議院本会議の中継を見ました。

1日の所信表明演説については「カタカナ語が109回」という報道もありましたね。
「エレベータ」など日常的に使われているものや、「バイオマス」なんて専門用語はともかくとして、「日本がアジアと世界の架け橋となる「アジア・ゲートウェイ構想」」とか「グランドデザイン」とか、わざわざ米語(和製?)でいう必要もないでしょう。
「カントリー・アイデンティティー」が問われませんか?

今日の答弁でも教育の目的を「美しい国、日本」実現のためと繰り返し強調してました。
教育の目的を国民の人格の完成自体ではなく、それを国家づくりのためにとするのは、旧憲法・教育勅語の教育観を彷彿とさせませんか?。

ところで、お隣の国ではアメリカ合衆国のことを表音的に「美国」(미국)と書きます。
「美しい国、日本」の「カントリー・アイデンティティー」は本物なのでしょうか?

2006年9月24日

2973<2974<<6599*n

2973人: 「9.11 米同時多発テロ」での死者
2974人: 22日までのアフガニスタン戦争とイラク戦争での米兵の死者
6599人: ことし7,8月のイラク民間人の死者

「朝日」9月23日付がAP通信の独自集計を紹介しています。
イラク民間人死者数は国連の発表にもとづくものとのこと。

いいですか? イラク民間人の死者数はこの2箇月分ですよ。たったの2箇月で阪神・淡路大震災による死者6434人を越える命が奪われています。ちょっと信じがたいです。

戦闘だけでなく、治安悪化、テロによる死者も多数なんでしょうけれど、テロリストをのさばらせる結果を生んだのは、米国によるイラク社会の破壊でしょう。

ブッシュ大統領が「十字軍」を気取って始めたこの2つの戦争に巻き込まれて亡くなったアフガニスタン、イラク両国の民間人はいったい総計何人なんでしょう? これは「報復」どころではありませんが(イラクと9.11テロとは無関係なので、二重の意味で「報復ではない」です)、そもそも「報復のための十字軍」がありえるのでしょうか?

私自身の勉強のために『Nova Vulgata』*から引いておきます。(Luc.6)
27 Sed vobis dico, qui auditis: Diligite inimicos vestros, bene facite his, qui vos oderunt;
28 benedicite male dicentibus vobis, orate pro calumniantibus vos.
29 Ei, qui te percutit in maxillam, praebe et alteram; et ab eo, qui aufert tibi vestimentum, etiam tunicam noli prohibere.
その続きにはさらにこんなことも書かれています。
37 Et nolite iudicare et non iudicabimini; et nolite condemnare et non condemnabimini...


目の中に丸太があるのに気づいていないのは私の方なんでしょうか?

*http://www.vatican.va/archive/bible/nova_vulgata/documents/nova-vulgata_novum-testamentum_lt.html
なお、私はまだこれを読めませんが、プロテスタントとはいえ、Yale Univ.出の大統領ならなんなく読めるでしょう。