2006年11月5日

世界史未履修でも一応、問題なし

先の記事「家庭科未履修」は私の認識不足でボロボロです。
http://lamium.blogspot.com/2006/11/blog-post.html

今日付で追記したとおり、私の高校時代はまだ世界史が必修ではなかったのです。

3 件のコメント:

  1. 未履修問題は、中国・明における科挙制度の最終局面とまったく同じですね。過熱する受験競争の中、皇帝自らが「傾向と対策」を作り上げ、それ以外は受験に不要としてしまった。結果、保身に汲々とする、役立たずの官僚だけになってしまったといわれています。いまの日本の官僚を見ると、なるほどと恐ろしいほど腑に落ちます。根本的な制度の見直しが求められますね。それにしても世界史を知らなくてこの国際化のなかでビジネスも政治も交流もおぼつかないじゃありませんか。2回目の投稿です。おひさしぶりです。(か)

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  2. (か)先生、こちらこそご無沙汰で失礼しています。

    世界史どころか、どうも、日本のTVなどの「ニュース」では「世界」の範囲がかなり狭いのではないかといわれていますが、アジアにこだわって出版をつづけている、(か)先生からみて、いかがでしょうか?

    くだんの高校時代よく聴いていたNHKFMでは当時、「世界の音楽」という番組がありました。(か)先生も聴かれていたのでは? この番組は三部構成で「ヨーロッパの音楽」「アメリカの音楽」「ラテンアメリカの音楽」でしたね。最後のだけが気を吐いてますが、当時も今も「世界」とはこの範囲なのでしょうか? (アジア、アフリカは「民族(民俗?)音楽」という番組でした)

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  3. アジアというのは「非ヨーロッパ」ということなんでしょうね(悲しいかな、ヨーロッパ史観に毒されてます)。コメントを読ませてもらって、「アジアの語源ってなんなのだろう」と今になってあわてて調べました。アッシリア語で「日出る処」だそうですね。たんに方向を示すことばだった。あとになって、いろんなイデオロギーが付与されていったんですね。アジアという一語で括られる共通概念なんてないのでしょうね。「多様性」? でもこれってトートロジーですよね。私はたんに「欧米以外」といった区分けをしております。80年代、「アジア」は、なんだか、難しそうな意味をもって語られていました。肩肘張ってね。ああいった世界から距離をおいた「アジアもの」をやっていきたいというのが最初の思いです。(か)

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