最近、憲法集会などで『沖縄を返せ』(全司法福岡高裁支部作詞・荒木栄作曲、1956年)が歌われている。
もともとの創作者も、いま歌っている人たちも善意なんだろうけど、私は違和感を感じてとても歌えない。
「我等と我等の祖先が血と汗もて 守り育てた」「我等のものだ沖縄は」などの「我等」とはいったい誰のことなのだろう。いわゆる「本土」(この言葉にもかなりの抵抗を感じる)の私たちのことなら、それは変だ。
江戸時代の島津藩による支配をはじめ「本土」は沖縄を支配してきた側だ。ただ、支配していたのは島津藩なり天皇制政府なのであり、私たちも沖縄の人々と同様、それらに支配・抑圧されていた同じ立場なのだけれど。
ついでに言えば「民族の怒りに燃える島」というのも、「日本は単一民族国家」という幻想の影響を受けているような気がしてならない。
以上、善意に対する言いがかりに過ぎない。(うたごえ運動の人たちは、いまだに「歌唱指導」といっている。うたは指導されて歌うものか?)
同感です。言葉というものの歴史性を踏まえない、言葉を選ぶことに「無頓着な」こうした言わば即自的「善意」に私も違和感を感じます。
返信削除Anonym(匿名)様、ありがとうございます。機会がありましたらお名前か、blog、twitterなどのURLをお報せください。
返信削除ところで、この歌が作られてから半世紀以上も経っていますが、いまだに「返せ」と言わなければならない、この国の政治もまた、なんとかしなくてはなりません。
そのためにも、言葉をしっかり選んだ新しい歌がほしいですよね。
そんな歌を待ちながら(いや、迎えにいきますか...)
例えば、あまり熱心ではありませんが、私も端っこに属している日教組の歌「緑の山河」の中の「民族」と言う言葉に限定された無意識の排他的ニュアンスを感じ、そのメロディーとともに、歌うたび違和感を感じます。よく使われる「国民○○○○」という時の「国民」も同様です。
返信削除過剰反応なのかもしれませんが・・・。
ヤドリギ金子さん、ひょっとして河津聖恵さんのblog経由でおいでになりましたか?
返信削除「沖縄を返せ」や「緑の山河」がつくられた当時には、それでよかったのかもしれません。世界各地で植民地の独立が相次いでいた時代、民族の枠組みと国家の枠組みとの区別が曖昧だったのでしょう。
しかし、それらを今は、もう無批判には歌えないと思うのです。
民族と国家との関係、個人と国家との関係が気になるのです。
朝鮮学校授業料無償化の遅れや、尖閣諸島、歯舞・色丹、千島などの問題についても、感情・感覚ではなく、戦争責任・戦後処理の経過について、よく考える必要があるでしょう。
歌は感情に訴える力が大きいですから、なおさら熟慮が求められると思います。
ところで、私は79年から86年まで仙台にいたんですよ。川内から青葉山あたりを7年もうろうろしました。
学生の頃、映画の自主上映をいっしょにやっていた阿部勉さんの新作『京都太秦物語』がいま仙台で上映中です。ご覧いただければ幸いです。
詳しくはこちらをどうぞ:
http://alumni.ritsumei.jp/miyagi/
http://ameblo.jp/kyotouzumasastory
http://www.ritsumei.ac.jp/eizo/kyotostory/
こんばんは、ヤドリギです。ご推察の通り、河津さん経由でたどり着きました。
返信削除まさにこの今の文脈・時代性において、置かれるべき言葉を「迎え」なければならないと私も思います。
単にアナクロだと言ってしまって済まされないくらいに良くも悪しくも「歌」というものには力があってしまう。
ところで、仙台で学生時代を過ごされた・・とは、縁を勝手に感じます。
阿部勉さんの映画、チェックしてみます。