交友篇 相知満天下、知心能幾人、
『労働価値理論研究』『論理と批判的思考』『性の歴史 第一巻 知への意志』(フーコー)『政治経済学原論』『政治経済学特講』『監獄からの思索』『クヌルプ——生涯の三つの物語』(ヘッセ)『家父長制理論』『フェミニズムと階級政体化』『歴史唯物論の再構成』『資本論 Ⅰ〔上〕』『歴史唯物論研究』『民主主義と独裁』『富者の経済学と貧者の経済学』『逆読み世界史』『談論とは何か』『??????(読めず)』『第二の性』(ボーヴォワール)『何をなすべきか』(チェルヌイシェフスキーか、レーニンか)
1994年で大学を長期休学しているという設定なので、わたしより10歳ほど若い人。 光州事件の時は小学生高学年あたりか。 これらの本からすると、80年代後半の民主化運動にそうとう主体的にかかわっていたと思われる。
『クヌルプ』はヘッセの小説。この版らしい。
https://ridibooks.com/books/260000041
本立てからウニがこの本を手に取り、表紙に記されている一文を親指で撫でる。
네, 모든 것이 되어야 할 대로 되었습니다.
ええ、何もかもあるべきとおりです。(高橋健二訳:新潮文庫)
ええ、すべてが、こうあるべきです。(相良守峯訳:岩波文庫)
Ja, es ist alles, wie es sein soll. (原文)https://www.gutenberg.org/files/17622/17622-0.txt
これは三番目の物語の末尾、臨終の薄れ行く意識のなかでクヌルプが神と対話し、そう答えてようやく自分の人生を肯定して最期を迎える。ウニにとってはこの一文だけでも励ましのように思えたのかもしれない。
それにしても、ヨンジ先生が『クヌルプ』を読んでいたのはなぜなのだろう。二つ目の物語でクヌルプがこう語っている——
「ぼくはこれまでたくさんの人と話をし、たくさんの人が演説するのを聞いた。牧師や市長や社会民主党員や自由主義者が演説するのを聞いた。しかし、心の底まで真剣で、いざとなったら自分の真理のために一身を犠牲にする人だと信頼できるような人はひとりもいなかった。」
90年代の韓国は民主化闘争も一段落し、経済成長のもと生活を謳歌する風潮が広がりはじめていたころ。ヨンジ先生もクヌルプのような体験をし、それが長期休学をしているわけなのかもしれない。
(蛇足)
書堂でヨンジ先生が教えていたのは『銘心宝鑑』(『明心宝鑑』)だけれど、板書されている章句と場面との関係もまた興味深いものだった。
(1)最初の授業の板書は
「相知満天下、知心能幾人、」(交友篇)
——この映画のテーマのような句なので字幕にも訳が出ていた。
(2)万引き直後、授業を始めようとヨンジ先生が消した板書は
「益智書云、女有四德之譽、一曰婦德、二曰婦容、三曰婦言、四曰婦工也、」(婦行篇)
——家父長制のもと女性に求められていた徳・容姿・言葉遣い・手技のことらしい。父・兄からの暴力に怯えるウニ(ジスクもそうだと後で分かりましたが)の告白と対照的になっている。
(3)ジスクが万引き事件後初めて書堂に来て、ウニとぎこちない雰囲気になっていたときに板書されていたのは
「明鏡所以察形、往者所以知今、過去事如鏡朝、未來事暗似漆、」(省心篇)
——磨かれた鏡によって形を察する。過去によって現在を知る。過去は鏡のように明らかだが、未来は漆黒の闇のようだ。——二人の和解とともに、この後の展開を暗示しているのだろうか。